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2013/08/16
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2013/08/15意訳 税所敦子刀自(1)このところ、古書づいている。まだほかにも書きたい題材があるが、今度の仕事でかかわる税所敦子氏の伝記から読んでいる。賢女としてのエピソードには事欠かないが、もっと人間臭い敦子女史に出逢いたかった。・・・・
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(3)
さて、薩摩入りしたあつこと徳子。
郊外の伊敷村まで報を受けた夫の親戚衆が出迎えにきていた。
京の都から、幼い娘を連れて嫁が来る、どんなおなごだ、物見遊山気分のものもいて、わいわいと大人数。
その中には、前妻の娘たちもいた。
あつこは、道中、まだ見ぬ娘たちに想いがあふれての到着だったので思わず、
「私の娘たちはどこですかあ?」と素っ頓狂に高い声で叫んでしまった。
叫んで我に返り、「しまった!先にごあいさつすべき方々がおられるのに、なんと、はしたないことを;」と恥じ入り、
真っ赤になってうつむいてしまう。
薩摩の田舎人たち、、京女といえば、みやび、しとやか、つんとおすまし、のイメージで、構えて出迎えたのに、
あつこの天然ぶりに一同、コケッ。
その失態は塞翁が馬、親族は大いに打ち解け、あつこを身内として受け入れた。
前妻の娘たちはことのほか、この若く、きゃしゃで、自分たちを一番にさがしてくれたあつこを気に入り、
途中休憩した茶店では、すっかり打ち解け、話に華が咲き、家に着くころには、姉を慕うがごとくなついてしまった。
ところが、家で出迎えた姑は違った。
幼き頃より、引き取って自分が育てた孫娘たちがいとも簡単にあつこになついて帰って来た。
自分と一緒になって、「異郷の女を娶った篤之の馬鹿者め、京女がこの地に来てつとまるわけがなかろう、泣いて帰るがオチよ。」と文句をたれていた親戚衆もまんざらでもなく
あつこを取り囲んでいる。
身内に裏切られた感を強くした姑様、もう、あつこ憎しの増幅の一途。
何とか追い出したい、居場所がないと悟らせてやりたいと決心をする。
実はこの姑様、近所でもなうての「鬼ばばあ」。
加えて、この家には子だくさんの義弟夫婦も同居しており。あつこ、徳子を加えて10人のも大所帯。
まずとった行動は、「無視」
まるで、あつこなど、そこに存在しないがごとくふるまった。いつもどおりの暮らしを貫き、恭しくあいさつに来たあつこをスルー。
長旅の労をねぎらうこともなく、用を言いつけるでもなく、目に入らぬがごとし。
それにひるむあつこではなく。
「他人行儀はすまいと、すでにお姑さまはわたしを空気のようにあって当たり前に思ってくださっているのだ」と、
ここでも天然ポジティブさく裂。
なにせ、両親の慈愛を一身に受けて育ったあつこは、邪気というものを信じない。
亡き夫篤之の初期の暴君ぶりさえ、「これも愛だわ♪」と受け止めていた人柄ゆえ。
いそいそと自分から仕事を探し、立ち働きはじめる。
子だくさんで子守りだけでも四苦八苦の義弟嫁もその手際の良さに、あつこをすっかり頼りにする。
また、あつこが義理の娘たちかわいさに、自身の着物、調度品、髪飾りなどをおしげなく分け与えるので
娘たちのあつこへのなつきかたも度を増すばかり。徳子もこの義姉たちによくよくかわいがられていた。
姑様は、作戦変更。
親切めいてあつこに
「娘たちにそのようにしてくれるのは大変ありがたいが、お前もまだうら若い身、自分の今後のためにも自分のものは残しておいた方がいいのではないか。」と声をかける。
これは、暗に「まだ若いんだから、これから次の縁もあるでしょうよ、この家にしがみつかずに嫁にいけばよい」の追い払い。
だが、性善説で生きてるあつこ女史、姑様の裏心にとんと気がつかず、
「まぁお母様、お優しいお心遣い、ありがとうございます。でも、私は、すでに夫を亡くした身、もう花の衣をまとう用はございません。着てくれる人があるのはほんとにうれしいですし、徳子はまだ幼くて、とっておいても流行りもかわるし、色も褪せてしまいますので。」とにこにこと答える。
突っ込みどころを失った姑様、鼻白んだが、あつこの人柄のよさに触れ、理性では納得、感情ではさらに忌々しく思うにいたり。
大家族同居の中にあって、特別自分にこまごまと孝を尽くしてくるあつこに、今度はことごとく難癖、小言を言い続けた。
とくに、早くなじもうと、あつこが薩摩の方言を覚えようと使うので、ほかの皆はそのぎこちなさにほほえましく笑ったが
姑は、馬鹿にされたように思えて、「なんと腹黒い」と忌み嫌った。
周囲の人々は、いつ、あつこが根を上げて逃げ出すか、この一族の様子は、格好の井戸端会議のネタとなっていった。
地域愛、身内意識が強い土地柄、その分よそ者には排他的。
京から乗り込んできた後家嫁あつこの奮闘ぶりは、最初こそ、夫もいないのにずうずうしくも乗り込んできたと批判的な目で見られていたが、
姑様のいびりぶりを聞き及ぶにつれ、周囲の目は同情と、応援に変化していった。
だが。
そんな周囲の思惑をよそに、あつこの内心はまったく別のところにあった。
なにせ、あつこは、篤之という気難しい、小言いいの、めんどくさい夫に仕えた経験がある。
姑様の小言や難癖には、免疫ができていた。血縁はなくともそこは同郷の義母子、(篤之は養子縁組でこの家にきた身)、
亡き夫を思い出させる所業や方言が姑の中にあり、きつい言い方にも懐かしさがあった。
はたからみれば、耐え忍んでいるかわいそうな嫁であるのだが、あつこ自身は、けっこう嬉しく姑に仕えていたのだ。
根っから性善説でポジティブシンキングのあつこの特権。
その意地悪を、自分をこの土地この家になじませるために鍛えてくれる愛ととらえることができていた。
そして確信もあった。かつて夫がそうであったように、
辛抱して、認めてもらえる自分になれるよう心を尽くせば、やがて夫と睦まじく過ごせたように、この義母と母娘として暮らせるはずなのだと。
姑様は酒好きで毎晩、晩酌をする。年もあって何度も夜中にトイレに起きる。
それをふまえて、あつこは365日一夜も欠かさず、トイレに起きそうな時間に部屋の外に控え、灯りを持ち、姑が転ばぬよう手を添えて
トイレまで誘導し、用を足した後の手洗いの水と手ふきを用意して控えた。
当たり前のように礼も言わぬ姑様であったが、いつの間にかあつこなしでは暮らせないほどにあつこを頼りにするようになる。
それでも姑根性はなかなかに治まらず。
ある日、あつこにこう言い放った。
「お前さまは、まれにみる才女と聞く。男と肩並べて歌会にまででたという。一つ、この婆にその腕前を見せてくれぬか。」
あつこ、答えて「たしなむ程度にございますが、おなぐさみになれば嬉しいこと、なんなりと。」
「世間ではこの婆をおにばばあと悪口を叩いている。そのおにばばに仕えて辛抱しているかわいそうな嫁の苦しい心境を今ここで歌にして詠んで聞かせよ。偽りは許さぬ、ありのままにな。」
あつこは、我が意を得たりというがごとく、心こもったようすで、即座に歌を詠む。
「佛(ほとけ)にも まさる心と知らずして 鬼ばばなりと人のゆふらん」
あっけにとられ、しばし無言であった姑様の目から、やがてぽたんぽたんと涙が落ち始め。
鬼ばばあの「角(つの)」が落ちた瞬間である。
以来、「あつこに」「あつこが」と何事もあつこがしないと気に入らない甘えん坊の母となった。
つづく