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2013/08/16
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2013/08/16意訳 税所敦子刀自(2)前編はこちら2013/08/15意訳 税所敦子刀自(1)このところ、古書づいている。まだほかにも書きたい題材があるが、今度の仕事でかかわる税所敦子氏の伝記から読んでいる。賢女としてのエピソードには事欠かないが、もっと人間臭い敦子女史に出逢いたかった。・・・・…
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(4)
さて。
当時の薩摩は京にもまして女子に学問など必要なし、の風潮。
前妻の娘たちもほとんど学びを得ていなかった。
だが、才ある篤之の子供らである。あつこ持参の書物やその手による美しい書に、目を輝かせる二人。
そこで、あつこは、姑に願って、世間に知られぬよう、夜分などに内々に娘たちに読み書きを指南する。
よそ者の自分が、女だてらに師のまねごとなどしていたら、この家の評判を落としかねないと危惧した所以。
だが、内緒のお勉強、のはずが、教え上手なあつこのてほどきを、
娘たち、「うちのお母さんのお勉強はとってもすばらしいんだから」と友人たちに自慢せずにはおられない。
たちまちに、評判となり、「教授料をお支払するゆえ、うちの子にもぜひお教えいただけないか」と志願するものが続出。
こうとなっては、断り続けることもまた居丈高に思われてもいけないと、家計の助けという大義名分のもと、
あつこは、島津藩士の子女を相手に、和歌と書を教え始める。
そのうちに、虚弱であったあつこに体力をつけるためにと父が習わした「なぎなた」の腕があることも知られ、
城中に呼ばれ腰元たちになぎなた指南もするようになった。
ほどなく、藩主、島津斉彬公に待望の男子誕生。
だれか良い守り役はいないかと問われれば、幾人もが「それなら、税所敦子さんでしょう。」と口をそろえた。
お城からの使いが来て、「若君の守り役にぜひ」と請われたが、あつこは「めっそうもない」と即辞退。
当時、税所家の身分としては、異例中の異例、国一番の出世話。普通なら喜んで受ける話である。
辞退の報を聞いた斉彬公、その奥ゆかしさにさらにあつこが適任と再三の登城依頼。
ついに断りきれず、あつこは、斉彬公の跡継ぎ、哲丸君の守り役としてお城に上がることとなる。
あつこには出世欲などみじんもなく、本音はこのまま姑に仕え、子らを養育する人生に身を注ぎたかったが
お殿様のお言いつけ、大事な大事な若様をお預かりするお役目である。この世に生を受けたが儚く逝った長男のことが頭をよぎり、
これも自分に授かった運命であると心を切り替えた。
さらに、守り役ともなれば、お給金は破格。財政の苦しいこの家の大いなる助けにもなる。
まだ幼き徳子のことも、万事任されよ、と家族に背中を押され、あつこは身命をかけて、若君の養育に心血を注ぐ覚悟で城中入りをした。
男子が生まれるたび、幾年もせず夭逝をくりかえしていた島津家の6男として生まれた哲丸君。
斉彬公の喜びはひとしおであった。
ところが、ほどなく、突然、藩主斉彬公は嘔吐し、苦しみのうちに亡くなってしまう。
その翌年には、なんと3歳となられた哲丸君までも発病。
藩主若君であるがゆえ、薬師たちが取り巻く中、子を看病する母の役目は果たせず
あつこは、回復祈願に食を断ち、夜に昼に、水ごり祈念したが、あえなく、哲丸君は、夭逝してしまった。
藩主、その跡継ぎをも続けて亡くした島津家は、斉彬公の弟、久光様が嫡男、又二郎君が家督を継ぐこととなり、万事はその父である久光様が後見することとなった。
主を失ったあつこは家に戻されたが、呆然自失。
一命をかけてとお守りしてきたはずの若君を死なせてしまったわが身のふがいなさ、斉彬公の突然の死。
かつて夫を亡くし、生まれたばかりの息子を死なせてしまった苦しみがフラッシュバックし、重なり合い、息もできない。
遅れまじ、この上は自決しておそばにまいらん、と自死の決意をする。
不穏な空気を察した姑が、あつ子の部屋に走り入り、その腕にすがり、必死に止める。
「こらえてくれ!その苦しみは察するに余りあるが、この婆は、お前だけが頼りじゃ。
まこと、娘と思うておる。子に先に死なるる地獄の苦しみはお前が一番よく知っているはず。
どうか、この婆を地獄に落とさないでおくれ。後生じゃ!
死ぬるならば、どうか、この婆を先に仕留めてからに!」
この取り乱した懇願をしながら泣きじゃくりパニック状態となった姑を抱きかかえ、あやしながら、あつこは冷静さを取り戻し。
そうだ。。私が死んでしまったら、この家の人たちは、路頭に迷ってしまう。。。生きなければ。。
身を引き裂かれるような思いの中で踏みとどまり、後はこの姑を看取るまで、日々供養と孝養に専念する日々を送るのだった。
だが、さらなる人生の大転換がその後に待っていた。
つづく