作品の情緒を伝えようとするとお芝居になっているといわれる。抑えると平坦に。
どうしたらいいんでしょう。というご質問が。
わたしが作っているテキストから、抜粋したものを書いてみます。
指導者それぞれに方法論があると思いますので、参考になる部分があれば、考えてみてくださいませ。
以下、図書朗読における「声表現のあり方」 (朗読士 池内のりえ 文責) より
「朗読者はディレクターであり役者ではないと心得る」
空間と情景、人物像をイメージして読む。
伝わるように読む。
話すように読む。
これが朗読の基本です。
だけど、演技してはいけない。
その境目、見つけるのは、難しいですね。
こう考えてみてください。
目の見えない方は、「本」を「読む」つもりで、CDを聴きます。
図書館へ行って本を読もうと「○○」という作品を借りたとします。
すると、それは「本」ではなく、お芝居のDVDでした。
「いや、これはこれでいいんだけど、私は『読書』がしたくて借りたんですけど(^-^;)」
そういって苦笑してしまう。
「録音図書」なのに演技朗読を聞かされた時の想い、こんな感じです。
本を読んで想像の世界を遊びたいのに、自分の想像ではなく渡し手の作った世界を押し付けられる。
作品がいかによいものでも、『読書がしたい』人にとっては喜びは半減ですね。
聞き手の想像の世界に浸食しない。
つまり、あなたの「主観」ではなく、分析した「客観」を、その声技術をもっていかに作品に忠実にお渡しできるかが、朗読ボランティアの真骨頂です。
もちろん、まずは、登場人物の心情や物語の主題を自身の感性で考えてみることが不可欠です。
そこに、時代背景や基礎知識を調査し、受け取った主観を調整をしていく。
その手法として朗読検討があるのです。
AとBの会話文があったとします。
その会話の背景、状況を分析します。
Aになりきってみます。Bになりきってみます。(それぞれの主観視点)
そのあとで双方の感情を客観的に伝えるにはどのような会話にするかを検討します。
Aの人物になりきったままではその感情からBの人物の感情に移行できませんね。
またなりきった主観のままに声を出すと演技につながってしまいます。
双方の感情をなりきってその「主観」を把握したのち、そこから離れ実況者として「客観」をもつ。
そのプロセスを経て「話すように読む」つまり、あったことを 見た(ように)「伝聞者」として実況する。
実況ですから、時間の流れ、空間の配置、どの視線から地の文が書かれているかを把握して「全体」を伝えることを心がける。
ディレクト(演出)。
その位置に立つことが演技過多にならない朗読の心地よい位置ではないかと考えます。
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と、文字で書くとややこしいなぁ。
声ワークでは、この部分、けっこう面白がっていただける部分。
養成講座では、たいてい全10回の4、5回目に入ります。