カッコーの巣の上で
今朝、今年初めてのカッコーの鳴き声。
こだまするように響くカッコーの鳴き声はまるで高原にいるようなすがすがしさを運ぶ。
初夏の香り。
でも昼間は、打って変わって、くらいさみしい曇り空。
カッコー、からの連想と、どんよりな空に、
「カッコーの巣の上で」、の映画を思い出す。
反乱の末、ロボトミー手術をされてしまった主人公の姿、
変わり果てた姿を抱きしめて泣き、彼を自由にするべく、枕を顔にかぶせて彼を「解放」した耳の聞こえない(ふりをしていた?)友人。
そして彼が主人公の遺志を継いで、精神病院から脱走してくエンディング。
カッコーは托卵をする鳥。
体温の変動が大きく、孵化に向かない自身の体より孵化のうまいほかの鳥の巣に卵を産み、温めさせる。
「本来の自分の居場所ではない場所」の象徴として、映画の舞台となった精神病院をカッコーの巣、としたのだろうか。
自由は、本当の開放は
安心の上には成り立たないのかもしれない。
責任の上に、立ちあがっていけるもの。。。
なんてつらつらと、ぼぉ~と、
どんより空を眺めていた。
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