断ちきりの難しさ
いるものといらないものを分ける。
自分の内面と向き合う時間。
荷物の山はほとんどが資料。
分けてなお、ちっとも減っていないような気がする。
数日、数週間置いて、また分ける。
何度も、何度も繰り返して、やっと少しずつ減っていく。
思いきることってほんとに難しい。
過去を整理できるということは、未来に備える自信の強さ。
整理できない、というのは、もしかしてこれが必要になるかも、これも、あれもと不安になるからだ。
明日の自分を信じる、これまでの自分への蓄積を信じる、がなかなかできない。
なにも持たずに生まれてきたのだ。
何も持たずに死んでいくのだ。
それでもなお、そばに置きたいものはなんだ。
執着の根源はなんだ。
自問自答を繰り返す。
なにひとつ、捨てられなかった亡き母を思い出す。
自分の物も親の物もその親の物も全部引き取っては物置や部屋に詰め込んでた。
信じられない荷物の山を片付けた日々を思い出す。
いなくなった人の痕跡を整理する時間は大変だったけど対話の時間でもあった。
息子だからなぁ、わたしみたいな遺品整理の仕方はしないだろう。
どさどさっと捨てておしまい。
とすれば、ちょっと思い出に浸れる程度に、なにがどこにあるかわかるくらい、整理に飽きないくらいの分量で
そんな基準を自分に設けてみたりする。
まだ生きるつもりで残し、でも先はわかんないしと捨てる方に戻し、を
繰り返す。
人生の後半期は、複雑なお年頃だ。
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