つわものどもがゆめのあと
息子たちが生まれ育ったさいたま市。
暮らしていた下落合の団地は既に廃墟となって久しく。取り壊される前に一目見ておきたいという上息子に同行。
朝早くに出て、一路埼玉へ。
6畳、4畳半の小さな間取り。まだ若い家族ばかりの公営集合住宅。
かつて、子供たちのにぎやかな遊び声とママたちの子を追いかける声が響いていた団地は、閉鎖の柵に覆われ、
団地の中は草いきれ。子らが遊んだ奥の公園は、ジャングルと化し、砂場もブランコも残ったまま草むらの中に
静かに眠り、埋まっていた。
草の根の力ですでに隆起してしまっている駐車場のアスファルト。ここで団地内運動会をした。
夏祭りも、各家庭からプールも出し合って、色とりどりのビニールプールの花が咲いていた夏休み。
ここで、下の息子も生まれ、家族4人、毎日笑って暮らせていたあの頃。
夫が毎晩帰宅して。玄関で子供らが飛びついて。毎日みんなで夕飯が食べられたあの頃。
諸行無常。
まにあってよかったね。団地がまだあってよかった。柵の外から写真を撮った。
なんだか、泣けた。
それから、息子が通った小学校に回り。
卒論研究でお世話になった越谷の高校の前を通り。
そのまま越谷の大きなショッピングモールに立ち寄って。
高速に乗り帰路に。
首都高では、ちょっと迷ってあちこち巡りつつやっと、中央道へ。
松本インターで降り、菩提寺により、塔婆をいただき。
帰宅。
上息子に運転をしてもらい、なつかしい場所に行くことができた。
誘ってもらわなければ、きっといつまでもいけないままだったろう。
ありがとねぇ。。。
合掌。
ありがたく。うれしく。切ない旅でした。
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