鍋いっぱい

のんたん

2013年11月08日 00:04

かつて当たり前にしていた料理を

今は躊躇があってできない。

ミートソース、煮豆、野沢菜漬け、常備菜(ひじき、切り干し、根野菜の煮物)など。

鍋いっぱいに作って、というか鍋いっぱい、桶いっぱいにつくんないと、美味しくないもの。

おでんもそうだ。


鍋いっぱい作っても、その日、あるいは次の日には終わった日々はもうない。

食べたいなと思っても、きっと一口。あとは?

だれが、食べるの。

わたし。

何日同じものを食べたら消費できる?

ここで、へたれる。

かつては、毎日のようにおやつも作った

チーズケーキ、カスタードブティング、小豆のきんつば、おはぎ。

魚肉ソーセージのホットドッグ、パンの耳のかりんとう。

なつかしいけれど、作っても・・・。

やっぱり誰が食べるの?で終わる。


ちょこっと、煮物、

ちょこっと味噌汁

ちょこっと浅漬け。

なんでも、ちょこっと、の量で仕上げられるものに特化した料理の日々。

お弁当料理の延長。


これに慣れないといけないなぁと思いつつ。

かつて、義母が、台所に立ち、何かを作ると

夫が「どうすんの?;この量」と突っ込みを入れてた。

若い衆が出入りした建材屋を営んでいた頃の賄い量が身に沁みついて、5人分、という彼女にとっての「少量」料理に

シフトができなかったからだ。


わたしも、小なべに、いまだ、違和感があって。

レパートリーが減りつつある。









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