ママの誕生日

のんたん

2010年02月08日 23:42



セピアぁ~~♪

今日は、亡き母の誕生日だった。 写真は彼女の若かりし頃。

2月8日。水瓶座。亡くなるまで、彼女を「ママ」と呼んでいた。

彼女は自分のことも、わたしにはママと呼んでいて、電話など 「あ、のこちゃん?ママ。 げんきですかぁ?」

と、ころころと転がすような声で話した。

もう、わたしをそう呼ぶ人は、いない。

マイペースで、明るくて、社交的で、たくさん友達もいたけど

どっぷり密に付き合うという関係ではなく、さらっと舞い遊んでいた。

おもいきり、天然な人だった。

母を象徴するようなエピソードを親類が教えてくれたことがある。

その昔、新婚まもない所帯にアポなしで訪ねていったら、

親類を部屋に通すなり「あ、ちょっとお待ちになってね。」と奥に引っ込んだ。

なかなか出てこない。まだ家事にもなれず、お茶一つ出すにも時間がかかっているのかも、初々しいことだ、と

待っていると、やがてしずしずと戻った母は、その手にお茶は持っておらず、

きれいに化粧して身づくろいをした姿で「お待たせしまして」

と、ちょこんと目の前に座って、にこにこしたそうだ。 ただ、にこにこしたそうだ。

最後までお茶は出なかったのか、それから用意したのかは定かでないが、

あははははw、と吹き出す話だった。

まさに。ママは、気働きはないが、華があった。 それで通る愛嬌があった。

父も懐古する。

ママの買い物につきあうと、俺はどこでも、さんざん待たされ役。旅先なんかで一緒に歩いていても

ふらぁぁっとどこかの店に吸い込まれていっちゃって出てきやしない。いつも待たされ人生だった(笑)

何本目のたばこかわからない本数を吸い上げて、ようやくもどってくるママに嫌みの一つも、と待っている間は思っても

ごめんねぇ、と全く悪びれずに満面にこにこと買い物品を戦利品のように見せて喜ぶ様子に毒気を抜かれちまうんだよなぁ。

で、なんにも、いえないんだ、これが。 なんとも、かわいげがあったよなぁ。ママは。


あはは。ごちそうさま。

百分の一も、似たかったものです。(・。・)はい。




病気で亡くなったママが、最後に食べた食事は、私が握っていった梅干しのおにぎりだった。

それまで、入院していても元気があったうちは、「赤貝のひもを握りにしたのが食べたいなぁ」とか
「冬季限定のケンタッキーのグラタンパイが食べたい」「茶碗蒸し、いいなぁ」とか、
かわいいおねだりが続いていたのだが、いよいよ病状が進むと、急激に食欲がなくなっていった。

梅干しのおにぎりはママのためにではなく、病床に付き添う自分のために、
残り飯をぎゅぎゅっと梅で一個だけ握ってきたものだった。

もう、重湯に近い病院食を、しんどそうにすすっていたママが、

のこちゃん、それおいしそう、食べたい。。。と、椅子でお昼にしようとおにぎりを取り出した私に声をかけた。

ゆっくりかんでね、とわたした。


美味しいわぁ、、、と、半分近く食べてため息をついた。

それからのち、痛みがますますしんどくなってモルヒネの量が増えて、うつらうつらしている時間がほとんどになって

春の日に逝ってしまった。

父は、半年間、かかすことなく病院に通い、最期をみとった。


誕生日が過ぎたから、

来月は、命日が来る。

あなたは、きれいなままだね、ママ。 パパの中でも。




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