亡き母は、自分を生きてる人だった。
子どもにべったりとか、心配してあれこれ、とかなかった。
お弁当とか朝ごはんとか、穴のあいた体操服や靴下のつくろいとか、買い足しとか、
あんまりやってもらった記憶がない。
それがものたりない子ども時代だったけど、いいこともけっこうあった。
わたしは、子どもころ、ひたいに太田母斑(青あざ)があって、股関節脱臼で生まれたからか少し歩き方が変で
やせっぽちで浅黒くて伸ばし放題の髪をしばることもなくたらしている、ちょっと小汚い子だった。
子どもの頃って容赦ない。
クラスの男の子に歩き方をからかわれることも、顔、きもちわるぅとゲロ真似されることも、あったが
不思議とまったく傷つかなかった。
今思えば、相当なコンプレックスであってもいいはずだったのに、まったく。
それは、母親がまったく、私の顔のあざや歩き方のおかしさに心配や憐みを見せなかったからだろう。
あたし、変?
どこが?ちっとも?
ふーん。
髪の毛気持ち悪い?
なにいってんの。お母さんのリンスまで使わせてあげてんじゃないのよ。普通子どもはしないよ。お姫様と同じ扱いよ。
ふーん。
歩き方、変かな。
どこが?リレーにまで出てるくせに、なにいってんの。
ふーん。
アザ、どう思う?
なにいってんの。そんなの大人になりゃ消えるのよ。
赤ちゃんの時誰だってお尻にあるでしょ、青あざ。あんたは逆子だったからそれがおでこについちゃっただけ。
場所が違うだけでしょうが。
みんなおんなじよ。
ふーん。
それで納得しちゃっていた。
で、からかわれても、げーっていわれても、「ふんっ」ってつんつんしてシカトで終わってた。
その強さって、きっと母の「なにいってんの全然!」のおかげだったと思う。
かけらも「不憫」を渡さなかった母の。
でも母の言うとおりにはいかず、大人になってもアザは消えなかったし、歩き方も変だったけど(笑)
それらは自分で稼げるようになってから順に直した。今もちょっと残ってはいるけれど。
自分を嫌いにならずに済んだのは、ケセラセラママのおかげだなぁ、と今になって思ったりする。