水曜日から父の所に泊まり込んでいた。
容態は悪く24時間体制でつきそう必要があり。
離れられなかった。
今の施設プランでは限界があり、ヘルパーさんの家事援助(毎朝食と週2回掃除)と
かかりつけ医の処方による一日1回の訪問看護師での点滴。
食事作りも掃除サービスも、元気なときならありがたいが、こうなっては無用の長物。
それでも、プランなので食べられなくてもなんでもヘルパーさんが来て作っていく。
おまかせしているケアマネさんの立てたプランとはいえ、
さすがに不毛を感じて最後にはお断りをした。
前日食事当番のヘルパーさんの
「ちゃんと食べられなきゃまた○○さんの嫌いな入院になっちゃうよ、注射だよ。」
という食事の勧め方も、悪気はないのだろうが、家族としては悲しい言い方だったし。
訪問看護の点滴も入れて退出なので外すことやあとの身体ケアはすべて家族もち。
タンは詰まる、意識レベルは低下して行く、熱は下がらない、容態は刻刻と変化していくのに、
これではどうしようもなくて、再度のかかりつけ医の往診で
入院の手はずを整えていただいた。
施設の車での送迎では体の負担が大きいだろうと救急車搬送の手配をかかりつけ医がしてくださり。
なので話が通っていると思いきや、来てくださった救急隊員の方から
「急変ではないんですね、救急車を呼んだいきさつを。」と最初の状況から事細かに説明を求められ
恐縮しながら経緯をお話をして載せていただく。
救急外来の処置室で待つこと4時間。午後6時過ぎにようやく入院の手続きをすることができ、
タクシーで施設に帰って自分の車で入院道具を持ち再度病院へ。
病棟に移れたのが夜の10時半。そりゃそうよね、予約入院と違うもの。
入院できただけ、有難いと思わなきゃ。それから聞き取りがあってようやく解放。
夫の所に数日ぶりに寄れて顔も見れて安心。息子たちが入れ替わり来てくれていたと。
その間私に心配かけまいと連絡しなかったけど、実は尿がでなくなって導尿処置をしたり
熱が出たり、結構大変だった様子。申し訳なかったなぁ。
深夜になったので施設によって仮眠。
翌日になっても父の容態は以前悪くて、酸素は6倍に増やし鼻チューブから酸素マスクに。
高熱でアイスノンを体中に氷漬けのように乗せ、
心電図や血圧計やマスクを朦朧としながら外してしまうので拘束の同意書を書き、
もう覚悟が必要かと思う1日の中で家にとってかえして、いよいよできなくなった地区役の仕事のさらなる代行をお願いしたり
プリントをつくってお配りしたり、バタバタとすごし、また夜病院へ行き。
今朝はたまった洗濯物をして病院へ。
父はようやく熱も下がり痰の吸引もスムーズになり。
容態を心配した兄夫婦が、日帰りでかけつけてきてくれ。
父はその声に反応して握手や明瞭ではないものの、かすかに声も出るようになり。
わたしもひさしぶりに兄夫婦と会話することができ、今後の話もして見送った。
ありがとね、遠くから飛んできてくれて。
また夫と同じ病院に入院できたので、これで、一息つけた。
先はわからないけど、今日は家で、ちゃんと寝る。寝倒す。
その間にも携帯や留守電に数件のお仕事のお電話をいただき、申し訳ないとお断りしながら、
気持ちを切り替えたはずなのに、さすがに落ち込み人になりそうな自分と闘いつつ。
断っていくうちに、将来的な仕事がみんななくなっていく恐怖をかきけす発想の転換をはかる。
年齢を考えたり先の不安がおそってくるのは、みんな睡眠不足と疲労のせい。
まずは、食って、寝る。
食べること大好き夫婦なのに、食べたいものが浮かばないねえ、お前もかぁ、そこまで呼応しなくていいのにさ、
と夫と言い合って笑ってきた。
帰宅すると庭の花鉢に誰かが水をかけておいてくれた。
葉がしっとりと濡れている。ありがとうございます。
生かされています。