おばあちゃんのなかで生きている人たち
介護認定の更新期が近づき市役所で手続き。
帰りにおばあちゃんのところに。
今日は、わたしだと認識してくれたようで普通に話せた。
日によってまったくよそ様のままで面会を終える日もある。
「ヒロはえらい目にあったなぁ。」というのでちょっとどきっとした。
「なんで?」と聞くと
「転んだかなんかで腰痛いって。」
ああ。。。昨年告知を受ける前の面会の時の会話の続きだ。
夫が最後の面会で「腰が痛くてようこれんが、げんきにしとれよ。」と言い置いていったのだ。
「ほんとにね、腰は時間がかかるで。ばあちゃんも養生してなぁ。」と会話をしのぐ。
「ババはマメでおるかい。」
ん?どのババ?
「おらぁえのばばさ。」
ああ、タケばあちゃかね。
タケばあちゃは、おばあちゃんの母親だ。
40年がとこ昔に他界している。
「マメでおるよぉ。あそこは孫娘が3人もおるで手はたりてるで、あんじょうないわ。」
「ほうか、そりゃあよかったわ。まんま食べれなきゃもうらしいで。」
その昔、タケばあちゃが入院していたとき、子供らが交代で付き添いをし、おばあちゃんは弁当をこしらえては届けた記憶が鮮明なのだろう。
認知症が進む前に、その話を何度もしていた。
昔の親子関係は、子供の数が多かったこともあってそっけないものだったようだ。
母親に感謝された日々はおばあちゃんの記憶の中でも大きなウェイトを占めているのだろう。
おばあちゃんの中では、夫も母親も早逝した妹弟も、生きている。
要らない記憶を消しながら、穏やかに生きていければそれも幸せなんだと思ったりした。
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