夫と父は同じ病院に入院していた。
4階と3階。それぞれ個室。
体調がいいときなど、夫は売店に行くついでに私の父の病室に新聞など買って届けてくれていた。
父はデジカメをいつも枕元においていろんな写真を撮っていた。
残された父のカメラには、病室を来訪したときの夫のちょっとびっくりした顔も写っていた。
それからツーショットのとか、話してるときの顔とか。
びっくりした顔は、訪問したらいきなり父にカメラを向けられて、え?;っといった感じの。
父は夫の余命をわたしから聞いていた。
自分はまだまだ生きるつもりでいたので
わたしのために夫の写真を撮ってくれていたのかなぁ。。
夫に告知があったことを話したら
「これからどうするんだ?」
「俺も少しは援助してやれるかもだが、そうそう長生きはできんしなぁ。」
「まぁ、旦那のほうに手がかかるだろうから、俺は早く退院できるよう頑張るから。」
と、自分のほうが悪い状態なのに、夫が先に逝くと思って、私の心配をしていた。
結果的には、父のほうが3か月早く逝ってしまったのだが、
最後にもらった親心は、わたしをとても支えてくれた。
しかし、なかなか見られないものだ。残された写真というものは。
遺影の写真さえ、つらい。
でも、パソコンに入れた父の撮った写真をふとクリックしてみる気になれる瞬間がある。
遺影の写真は、写真館で撮ったあらたまった顔なので「写真」という気持ちで見られるが
普段をそのまま切り取ったような、父の撮った写真は、
PCの中で「よっ。ご無沙汰。」と動いて話しかけてきそうな夫の顔がそこにあり。
頑張ってるかと笑いかけているような父の顔がある。
思わず 「うんうん」と返事をして
号泣が来る。
残してくれた。こんな瞬間を。こんな顔を。カメラに。
おとうさん、ありがと。
また、たまに、二人に逢いに来ます。クリックで。
いつもは、まだ、ちょっと無理だから。
たまに。
どしても話したいときに、ね。