おもろうてやがて悲しき
鵜飼かな、と続く芭蕉の句。
おもろうてやがてかなしき、道化かな、という川柳もある。
もちろん元句は芭蕉だろう。
やがて悲しき、は一抹のさみしさ、とあるが
この悲しさを、一抹ととらえ、通り過ぎることができるものは、
おもろうて、を楽しめるのだろう。
だが、悲しさに身を囚われてしまうものは、その予感が先に立ち
はなから、おもしろい、を遠ざける。
または、歓楽の瞬間にさえ、身構えて時を過ごす。
幸せの先に、まだ幸せがあることを確信できる人生は 力強い。
けれど、幸せの先を 儚しと思う人生が「悪」かといえば、そうでもない。
かえってそのほうが、生きることにはしぶとくあれたりするのだ。
喜びの瞬間を、恒常にもとうとすれば、そうでない時間に不満が生まれる。
その感動や享受がなくなったとき、
「もとにもどっただけのこと」と思えるか
その瞬間を取り戻そうとあがいてしまうか、で、
ストレスのかかりかたがちがってくる。
恋に例えれば、わかりやすいか。。。
あがかない自分を肯定する。
それが、すべ。
生き方は、ひとそれぞれでいい。
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