成育史。
実家は3世代同居だった。
兄は母に育てられ、わたしは祖母に育てられた。
私の断乳もそこそこに母がフルタイム勤めを得たので。
ものごころつくころには、個室をあてがわれていたが、小学校に入っても
わたしは甘えんぼで、祖母の部屋に行き、一緒の布団にもぐりこんでは寝ていた。
4年生で祖母が亡くなると、自分のうちではあったが
なんとなく、親戚の家に預けられたような、こころもとなさと遠慮が子供心に芽生えた。
が、内心とはうらはらに、親には強気を見せるかわいげのない子供だった。
強気の言動は、自己肯定感の低さの裏返しであったのだと思う。
それから実に10年は、感情操作が迷走し、コミュニケーション能力が自分にはないんではないかと殻を作って生きた。
夫と結婚しなかったら、多分一生独り身だったのではないかと今でも思う。
亡き夫は、実に安定した感情の持ち主で、新婚時代、波のあるわたしに根気よく接してくれていたと思う。
そして子供を授かって、その存在があまりにも、無防備で、絶対信頼を寄せてくることに驚愕に近い感動を体験した。
「いいの?このわたしに、そんなに安心してて、いいの?」と幾度も思った。裏切らない初めての存在。
毎日が恐れ多く「ありがとう」の日々だった。
また、夫は何にでも「ありがとう」を惜しまない人だった。
アイロンをかけたワイシャツやハンカチを手にしても「ありがとう」
でがけにお弁当を受け取り「ありがとう」
駅に迎えに行っても「ありがとう」
2時間後に起こして、と仮眠に入って、なかなか起きない体をゆするときも
「ありがと、ありがと、起きなきゃ、うんうん。」となかなか目が明かないままでも、ありがとうを連発したりした。
こどもたちにも「ありがとう」をいっぱいいって育てた。
今、想う。
わたしやこどもの自己肯定感は、夫の「ありがとう」に育てられたのだと。
私の自己肯定感は、結婚して母親になってからようやく芽生えた感覚なのだ。
その感覚を得てようやく、わたしは幸福感や、穏やかな人柄を持てるようになったのだと思う。
夫は、連れ合いであったけれど、保護者でもあった。
育てて、もらった。
彼の置き土産は、この人生に、やさしい色をつけてくれた「ありがとう」という魔法の言葉なのだと思っている。