烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)
菩提寺からいただいたお盆の法話の冊子には、日常に唱える経典として
「摩訶般若波羅蜜多心経」が載っており。
ときおり開いて唱えてみたりしている。
その後ろのページに法話が載っており。
先祖の供養の話の中に、
お檀家のおばあちゃんが5人の子を育て上げたが、どの子も都会で暮らしておるため、
長年独り暮らしの果てに、お手洗いで一人寂しく息絶えていました。
とあった。
生前そのおばあちゃんに月参りの後のお茶のみ話に
「おばあちゃんにとっての幸せは何ですか?」と問うたところ
「子供らのしあわせこそが、私の幸せ」と言い切ったそうだ。
法話は、このあと「命を受け継ぐ先祖供養」という内容に転じていくが。
最初は、「信心深い方がおかわいそうに」という印象を持ったが、
考えてみるに、「否。なんとお幸せな昇天であろう。」と思い至った。
日々、子や孫の安泰を願い暮らしていた信心深く、慎み深かった彼女の最期は
美しき烏枢沙摩明王に、看取られ。
息絶える瞬間の不安は
「ああ、子らに面倒をかけずに逝くことができた」という安堵に転じたのではないだろうか。
近年、トイレの神様という歌が流行り、トイレにはきれいな女神さまが居ると歌っていたが、
本来は不動明王のように炎を背にした男女二人の大変美しい神々(烏枢沙摩明王)が
いっさいの穢れと悪を焼き尽くしてくださっているのだそうだ。
けして。「ひとり」「寂しく」息絶えたのでは、なく。
得心して召されたのだ。
つい、老後を思うと自分に置き換えて考えてしまう話だが。
そう思いたい。
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