死にも出来なきゃ、治れもしねぇ、生きじろってるのは、きついやなぁ。
夜中に何度もトイレに吐きに起きていた頃、夫が吐き終わった苦しい息の中でつぶやいたことば。
吐き終わってといったところで、食べられてないので出る内容物などなく、血混じりの胃液ばかりだった。
背中をさすりながら、「ほんでも、生きててくれりゃぁ、うれしいわやぁ。」と、声をかけ、
支えてベッドに戻った。
生きじろう、と検索しても出てこない。方言なんだろうか。
生きまどう、とも違うか。
近い未来に死が迫ってるとわかりつつ生ある限りは、生きなければならないやるせなさを表す言葉。
ぎりぎりまで、在宅で、できれば看取りもこのまま家で、と思っていたけれど。
それから自分で立ってトイレに歩けなくなり、水分も摂れなくなった数か月後、病院に入院して数週間で息を引き取った。
病院に入院してからは、達観、というか穏やかに、日々を過ごしていられたので、
あの頃が一番、死を受け入れるための葛藤期だったのだろう。。。
夫が若いころ、同僚だった方が、こちらに住む元部下の方を通して、来週の出張の折、立ち寄って焼香をしたいが、とのご連絡があった。
今は、某官庁の長になられている。
年も亡き夫と同年代、同僚の頃は、お互い新婚で、官舎に手料理を持ち寄りホームパーティーもどきも何度かしたっけ。
その後は、同じ省内管轄ではあったが、別々の分野に進んだので、一緒の官舎になることはなかったが、
たまには接点があったようで、数回、「今日一緒だったよ」と夫の口から話が出たことがあった。
昔話など、しに来て下さるのだろう。ありがたいことだ。
お忙しい中を、有難い、と思いつつも。
心が波立つ。
そして、昔話をなつかしく語り合えるほどには、わたしは昇華できていないことに気がつく。
夫の「生きじろって」という言葉がよみがえってきたのもそのせいだろう。
生きて現役であれば、一番円熟と多忙の日々にある50代後半。
思い残すことはないといって去った彼ではあるが、わたしには、無念が残る。
定年を、祝いたかった。
「長い間お疲れ様でした」「いままでありがとう」と照れずに言い合えたかはわからないが。
訪ねてくださるその方は、もうすぐそれが、できるひとなのだ、と、ふと、うらやむ心が芽生えた。
同年代の同時期の結婚、ご近所同士だった新婚生活、日々のたわいのない会話、お互いにあることが当たり前だった未来。
あの頃の時間の共有が、わたしをそんな負の感情に貶める。
良い思い出のはずなのに。
だめだめ。
気持ちを、立て直そう。
ありがたいお気持ちを、まっすぐ受け止められる自分を作ろう。
この1週間で。