自動制御
感情考察。
夫が亡くなって3年目になる。
以前と同じ自分のつもりでいて、無意識にいくつかできなくなっている行動があることに気がつく。
仕事でかかわる祭りイベントに躊躇はないが、プライベートで「お祭り」に出かける気になれないこと。
家族連れが多い週末に買い物に行きたくないこと。
逝去当日も仕事だったのだが、その日預かった資料DVDに、いまだ目が通せないこと。
あの当時使っていた携帯は、現役引退後もまだ手元にあり、最後の録音メッセージと写真が入ってる。
だが引き出しから出すこともできず、見れず、聴けずでいること。
夫がとくに喜んだいくつかのメニューが作れないこと。
泣かずに1日を終える日が、未だに持てないこと。
あらゆることにそのスイッチが連動するのだ。
5年後の自分を想像できないこと。
前は、あらゆる老後を想像して楽しんでいたのにな。
未亡人、とはよくいったものだ。
今を生きられるが、今につながる未来を想像できないのがこの立場なのだろう。
なんてことを書いていると、暗い毎日を送っているのかといえばそうでもない。
やることがけっこうわさわさあって、ありがたい友人もいて、笑うし、食べるし、飲みもする。
ただ。
いい意味でも、悪い意味でも、「執着」が希薄になってしまったような気がしている。
なにごとにも、腹の底からわき上がる激情感、というものに縁が無くなった。
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