別れる練習をしながら
『別離のだんどりを習いつつ 生きよう
さよならの方法を学びつつ 生きよう
惜別の言葉を探りつつ 生きよう
美しい 自然, 名前らしい人生
美しい情, 美しい言葉
置いて行くことを学んで 生きよう
去る演習をして 生きよう
人生は 人間たちの古巣
ああ われら たがいに最後に交(かわ)す
言葉を準備しつつ 生きよう
~別れる練習をしながら - 趙炳華 (茨木のり子訳) より ~』
年を取ると、「一期一会」という言葉がひしひしと身のそばにある。
「これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」
という茶道に由来の教えだ。
あきらめ、でもない。 達観、には遠い。
でも、若さゆえに大きく横たわっていただろう「執着」感からは、少し解き放たれており。
そのぶん、刹那、刹那が愛おしく、ありがたい。
確信の「またね」ではなく
あるかもしれないし、ないかもしれないと思いつつの「またね」は、
当たり前でないぶん、その「また」が訪れるたびに幸せがくる。
それが、毎日であっても
数週間後であっても、
数か月後であっても。
等しく、ありがたく、幸せな瞬間。
「おはよう」も「おやすみ」も「ありがとう」も
握手も、抱きあいも、触れる頬も、みんな、その都度、最後に交わした言葉やぬくもりになるかもと思いつつ
渡していく。渡しあっていく。
人生後半期。
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