願い、祈る
大きなデモの光景を見ると少し視点が違う目が出る。
50代前半で亡くなった義兄は、警視庁に勤務していた。
サミットやデモ、警戒態勢が起こるたび、非人道的?シフトが来る。
日ごろの体制から無理に動員をするからだ。動員されたものも残るものも、激務を強いられる。
「表には出ないけど、たいてい何人かはそれに起因して死ぬんだわ。」という言葉を彼から聞いたことがある。
殉職ではない。
緊張の継続と激務が体をむしばんでいく過労死。
そして、そう苦笑していた義兄も、サミット明けの数週間後
「大動脈瘤破裂」という病死でこの世を去っている。
民衆に頼みたい。
公安職に携わる人々は仕事であなたたちに対峙している。
同じ「市民」なのだ。
敵ではない。
制服はときにその人の顔を消してしまう。 だがひとそれぞれに顔と名前と人格と暮らしがある。
群衆となった人の群れも同じ。 「群れ」の中で、個が見えなくなる。
だが、それぞれに顔と名前と暮らしがある。
人と、人、である。
敵ではない。
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