おふくろの味は継承ものじゃない
よく嫁姑ドラマなんぞで「うちの味を覚えてもらいたいの」なんてのがあるけれど、
うちの味、なんてものは、1代限りで変わっていくものだと、つくづく思ったり。
わたしは何種類か漬けものをするが、それは皆、ここに引っ越してきてから友達になった先輩主婦(農家が多い)から
おすそわけしてもらうものがとても美味しかった時、レシピを教えてもらいながらレパートリーを増やしてきたものだし、
いくつかの定番ケーキも、子が幼いころのママ友たちから伝授してもらったものばかりだ。
それが自分の手で作り重ねるうちに、自分流の味になってきた。
子どもが小さい頃は、親子だけの団地暮らし。
ママさんたちと持ち寄り一品食事会を子連れでしょっちゅうやっていた。
今は、家に人が集まることはなくなってしまって、環境が変わってしまったが、あの頃得た知識や情報交換の賜物が
今の台所生活の基盤となっている。
母親やお姑さんから「伝授をされた」というような家事仕事には思い当るものがない。
それでも、家族は、今食卓に出されている漬物や食事、デザート、お弁当が
「うちの味だ」という。
学食やコンビニ弁当や出入り業者の仕出しは外の味。数日で飽きたといい、それぞれが弁当生活の再開。
うちのめしを持っていくと定番のおかずでも飽きないからという。
それは、何年もかかって作られた舌の記憶だろう。
だが、息子たちがそれぞれに家庭を持てば、その相手によって彼らの定番メニューや弁当の中身は大きく変わるだろう。
だんだんそれが、また「うちの味」になっていく。
継いだものがない利点は、継がさなきゃ、という気も起きないことだ。
子が「娘」でないこともあるのだろうが。
自分がおいしいと思う暮らしをすればいい。それが健全だ。
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