伏線を拾うか否か
朗読講座の中で心がけていることがある。
「いたれりつくせり」をしない。
朗読者の養成講座はカルチャースクールではない。
講座はこれから本人が自学自習を続けていくなかで、自分の読みを構築していく手助けをする
道しるべを渡しておくものにすぎない。
たとえば、文章の意味をとらえずして声で伝えることができない、と講義をして
課題文を渡すとする。
調査技術の講義では、下調べの重要性と調べ方のツール、ノウハウも渡し済み。
受け取った課題文に向かい合ったとき、
意味をとらえようとして内容や背景を下調べして意味のまとまりを考えてくるか否かは、本人の「意思」だ。
読みのうまい下手ではなく、その文章を身に入れようとして学んできたかどうかは、一聞するとわかる。
また、人の読みを聞いて、この人の読みはどうして聴きやすいのだろうと考えれば、遅かれ早かれそこに行きあたれる。
課題をすませその後に検討解説をすると、「先にそれを教えてくれれば」
「最初に読みの見本をください」(つまり、なぞりをして始めから花丸をとりたい)
という人もいて、
そこまで手とり足とりじゃないとダメなのかな、となやんだこともあったが、
自学ができない人は、結局長続きしないので「気づき」を持ってくれる人に残ってほしい想いもあって
その方針は変えていない。
とはいえ、結構露骨に伏線を張って「やってこいやぁ」のメッセージをおくっているのだけれど。
やっぱり届く人、届かない人があり。
それは優劣ではなく、その仕事に適性があるかないか、なのかもしれないなぁ。
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