名称誤記に見える姿勢
春の選挙戦。
戸前訪問もちらほらと。
信念とか、理念とか、誠実とか、よき言葉が並ぶリーフレットもポストに入ってくる。
とある候補者のリーフレットに記載のある「応援者」の所属団体名が、明らかに違うのを見つける。
会長名で「応援」を書かれた一文。
候補者が「自主的に」「年間を通して」「心を尽くして」参加した「はず」のその団体名を
やすやすと名称をまちがえたまま印刷する。配布し続ける。
そのことだけで、何のために活動に顔を出していたのか
その心根が、すっかり見えてしまう。
そして、この候補者の応援実働隊の中に、この団体のメンバーがいないことも明白に見えてしまう。
名だけ借りたのねと。
もったいないね。
参加していた間の動きようによっては、大きな支援につながったはずの団体。
確かに、人の心は、誠実と、真摯な姿勢と、、理念を見たときに、動くもの。
見えればのはなしだけど。
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