お姑さんの主治医と、施設管理の方と3者面談。
このところ、けがが多いおばあちゃん。
昨年の冬、深夜に自分で立とうとしてベッドから転んで大腿骨を骨折し、
しばらく安静にしてもらうために、と主治医の先生が安定剤を増やしてくれた。
骨折が癒えたので、このところ、量を減らしてくださったのだが、
そのため、またぞろ、昼夜逆転や衝動行動や大奇声がよく出るようになり。
足はきかないが、持ち前の大きな声と腕力は健在で、なかなかに大変な介護現場。
施設のご苦労は身に染みて理解はできる。
私自身、彼女の在宅介護の日々のなか、自分がつぶれる一歩手前で、この主治医の先生に救ってもらった過去がある。
「家だったら、看るのはあなたひとり。24時間365日、あなた一人です。
でもプロがいる施設では複数の人間が交代で介護ができるのです。
現場から離れて、帰れる人たちです。お給料が出る人たちです。ちっとも申し訳なくないです。胸張って預けてください。」
施設入所に罪悪感で躊躇をしていた私の目を見据えて力強く言ってくださった日を思い出す。
とはいえ、申し込むにもどの施設も待機、空き待ち状態。
この主治医の診断書で緊急処置入所を受けてくれた施設の期限が切れる直前に、今いる施設に空きが出た。
あの頃の流れを、今でも神様の救いであったと感じる。
ようやく正規入所が叶った翌月に、実父の癌闘病が始まったのだから。
その翌年には、実父に加えて、夫の末期がん告知。
もし、あのままおばあちゃんの在宅介護を一人で続けていたら、と思うと今も身震いが起きる。
その主治医からの問いかけ。
「薬(安定剤)を増やせば、けがはしない。でも、朦朧とする時間が増える。
このまま、少ない薬でいけば、正気っぽくいられる時間も多いけど、世話はかかる、また怪我もありうる。
で、施設としては、このままの状態で頑張って看られる覚悟があるか、
また、ご家族の意向としては、けがをしないほうを選ぶ?危ないのを承知で、今の状態を望むか?」
施設長の顔を見ると、預かることにはやぶさかではないが、絶対に大丈夫という介護はできない、それを承知で
預けてくれるなら、という。
主治医と施設長の顔を、交互に見て、「ああ、わたしの判断で決まるんだなぁ」と悟り。
考えた。
薬が強かった時期、おばあちゃんはおとなしかった。
ろれつもあまり回らなかったし、私が誰だかわからない日も多かった。
食事ももくもくと口に運ぶだけだった。
だが、今は、入口まで響く大声が出る。
お顔を見せれば「おーー、きたかやー!」と笑顔を見せ、私を私と理解する(2回に1回くらいだけど)
食事も、にこにことおいしそうに平らげる。
足をさすれば「おほほぃ~きんもちいいのぉ」と子供のような顔をする。
時系列はごちゃごちゃでも思い出話がしあえる。
夜中に振り回しただろう手の甲に青あざがあっても、その手でおいしそうに箸を動かす彼女を見ながら
決めた。
「ご面倒を承知で、すみません、このままお願いします。」と頭を下げた。
「ではそういうことで。」と主治医と施設長はうなづきあい。
おばあちゃんのQOL。
私が決めたよ、お父さん。いいよね?
正気の今日は、明日のブドウ狩り遠足に着ていく服をあれこれとチョイス。
家の箪笥から季節ものを運び込み、選んでもらった。
女の顔を見せた彼女。
うん。
あなたらしく、生きようね、おばあちゃん。