忘れてよかった
おばあちゃんの認知症は、きっと神様の情け。
未だに内臓の病気はなにもない、ご飯もおいしい、健康体のおばあちゃんが、
記憶の脳だけが早々とすっかり壊れていった。
彼女のノートには、「死んでも絶対忘れない!」と
我が家に来るまでの過去の人間関係の恨みつらみの殴り書きが多々残っている。
気の強さは、彼女を支えてはきたけれど、反面、独尊が人間関係の衝突を呼びやすく
彼女の心を荒ませていたのだろう。
うれしかったこと、ありがたかったこと、の記載というものがない。
もし、喜びや感謝を、相手に対して言葉や文字に表すことができていたら
兄妹も子も多かった人生、たらいまわしの末にすでに亡き三男の嫁のわたしに流れ着くことはなかったかもしれない。
でも、認知症を得た今、
「死んでも忘れない」うらみつらみは、全部、消え失せた。
「あんがと」「あんがと」と笑うおばあちゃんになった。
きっと、これが本来の彼女なんだろうと思う。
育ってきた環境、生きてきた環境が、彼女を「なめられてたまるか!」のおこんじょに形成したのだろう。
病を得て、彼女は、ピュアな自分に帰ったのだ、きっと。
忘れて、よかった。
もし全部覚えていたまま、この10年を過ごしていたら
彼女の心は、別の形で壊れていただろう。
神様の采配、かもしれないが、人の体は自身の精神を守るための方策を発動する。
彼女は自分自身で、自分を浄化したのかもしれない。
だって認知症になっても、負の感情だけ残る人もいるのだもの。
きっと、彼女の今発する「あんがと」は、安堵の言葉なんだろう。
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