施設の選び方

のんたん

2013年10月01日 01:59

父は83歳まで生きたが、晩年を有料老人ホームで過ごした。

いろんなところを探したが、父が気に入ったのは、「S」という老人マンションと介護施設の併設型。

ここは、すべての職員が「敬語」。

ホテルスタッフのように、一律の制服をまとい、お辞儀にも言葉にも、お世話にも「敬い」があった。

居室に入るときも、人の家に訪ねるときのように、ノックして返事を待ち入室していいか伺い、一礼してお邪魔します、と入ってくる。

それは、身体不自由な方にも、認知症の方にも変わりない対応だった。

父は、この施設スタンスが気に入り、実家を売ってここに移り住んだ。

自宅にいるころ、ディサービスのお試しにいって憤慨して帰って来たご仁である。

「歌だ、お遊戯だちーぱっぱ、と幼稚園のようなことをさせる。幼児に話しかけるような物言いをされ、馬鹿にするにもほどがある。」

彼にとっての「介護」とは、「していただく」ものではなく、当然の権利として受ける「サービス」という認識だった。


かたや、わたしのお姑さんがお世話になっている認知症のグループホームは、真逆である。

入所の老人たちは、すべからく「幼児のごとく」対応されている。

ジャージにエプロンをした職員さんたちは、タメ口というか、ちょうど三歳児に話しかける大人のような言葉づかいで

親しみを込めて「かわいがる」ように、時に「叱る」ように言葉と態度を使う。

「えらいじゃん、きれいに食べたねぇ。」と、頭をいいこいいこする。

「今日は、ごきげんいいじゃん~。」とほっぺを両手で挟んでむぎゅむぎゅする。

「だめだってゆったじゃん、おとなしく座ってり」と子供を叱るように「めっ」とする。

最初、これを見たときは、父の施設での対応になれていた私は、ものすごく違和感があって、気持ちがざわついた。

特に、年長者の頭をくしゃくしゃとなでる、という行為は、その人の「尊厳」を真っ向否定するものに見えた。

父であったら、怒髪天を貫いて激怒、そこになおれ!成敗してくれるわ、ふざけるな、俺は出て行く、と叫んだであろう所業だ。

だが、お姑さんは、ほっぺをおされて、えへへっと喜び、褒められてにこにこと自慢げな顔をする。

赤子扱いされることを、心地よく受け入れていた。

お姑さんの様子から、「ああ、彼女には、この対応が有効なんだ。」と納得をした。

人はそれぞれ、欲しい対応が違うのだ。

もし、彼女が、父のいたような施設に入ったら、不幸だったかもしれない。

「他人行儀にされてる」とさみしがったかも。



もちろん、ここのすべての入所者がお姑さんと同じ感覚とは限らない。

ため息まじりにあきらめ顔で、静かにされるがままにいる老婦人を見ると、内心が気になったりもする。

「ほかに、いくところがないのですから、わたしは。辛抱辛抱」と、

聞こえるかどうかのささやきでわたしの視線にわずかに笑って見せたお顔は

認知症のそれではなかったようにも感じたり。

超高齢化社会が来る。

目の前に来ている。

終の棲家に施設を選ぶとき、自分の感覚に合っているか否かは、とても重要だ。

施設のハード面よりも、その施設のスタンスに重きを置いて、考えなければならないと、痛感している。









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