自分の慰め方
姑さんの症状に、心底疲弊して気分転換がなかなかでききれない時がある。
こちらの疲労度にもよるのだろう。心折れず受け流し続けられる日もあるのだから。
彼女が「いい人」であった歴史の上に今があるなら、病気だもの、仕方がないと思えるのだろうけれど
彼女の場合は、本来持っている性格の尖鋭化からくる暴言や被害妄想や意地悪なので
日々冤罪を被りながらお世話をすることは、これまでの生活の延長、激化にしか感じることができず、内心苦しい。
でもその苦しさを心から共感しあえる人は近くにいない。
家族であろうと当事者でない人には所詮他人事のつらさなんだなぁという実感するときもあって
孤独感を感じるとき、どう自分を立ち直らせるかを模索する。
同病相哀れむ、という言葉がある。
SNSのコミュで、老人介護、認知症、在宅介護、などを検索し
当事者さんたちの書き込みを読みあさる。
ああ、私だけじゃない。 もっと頑張っている人たちがこんなにいる。もっとつらい思いをしている人もこんなにいるんだ。
そう思うと、ひとしきり泣けて、そのあと、少し立ち直る。
さらにゆっくりおふろでも入って夜更かしの後のきつさも承知の上で自室でちびちび梅酒を飲んだりして
数時間をかけて、思考を浄化して。
おし。明日も生きる。がんばる。笑顔。うん。と自分に言えて、さぁ、立ち直ったぞと、ようやく床に就く。
わたしは幸せだ。 息子たちが心身ともに健康な大人になった。
そのことだけでも人生のプラマイは、十分おつりがくる幸福度だ。
それを思えばこのくらい なんちゃない。
えがお、えがおぉ~お♪
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