自分を必要としている誰か
お姑さんの中に生まれた新しい登場人物。
「じいちゃん」と呼んでいる。
おじいちゃんは、もういないよ、というと
ちがう、「あとがわりのじぃ。」と姑さんはいう。
姑さんはその人を「じいちゃん」と呼んでいるが
お仏壇の中にいるおじいちゃんではないようだ。
旦那さんであるおじいちゃんがもう死んでいることは認識している。
その人は、若い人らしい。
「若い男衆(おとこしょ)がどうやって1人でいるずら、もうらしい(かわいそうの意)」
という。
でも「じいちゃん」なのだ。
元の家でお姑さんを「待っている」という。
だから、私が行くまでそこにいて、と電話をかけたがる。
「じいに電話をかけるからうちの(元の家)電話番号をおせろ(教えろ)」と日に何度も言う。
既に空き家になって久しい元のおうちには、もう電話も何にもないのよ、と話してもらちがあかないので、週末に連れて行ってひと気のないのを目にしてきたのだが、今度は、
「あんたが電気も止めちゃったから、じいはいられなくなって出て行った、訪ね人の広告を新聞に出しとくれ」という。
毎日毎日何回もその相手をするのは、なかなかに気力がいる。
なんてひと?
名前なんかわからん、
どんなお顔?
みたこたねぇ。
うん、それじゃ広告に書けないから、ゆっくりお名前思いだしてからにしようね、と話す。
今度は、元の家の近所の人たちに電話をする。
じいに伝言を頼むという。
土曜日にかえるから、待っててとじぃに伝えてくれと。
なんとか気をそらしながらいるのだけれど、
買い物や雨続きでコインランドリーや、自分の通院もあり、
留守をすると家の電話で、かけてしまう。
今日も帰宅してみたら、11件の発信。。。;
以前は携帯で昼夜を問わずあちこちにかけてしまうことが続き、
私と夫と自宅を登録した3つのボタン以外を制御をかけた。
携帯から、かからないので、こんどは家の電話に切り替えたようだ。
どうしても、どうしても、その「あとがわりのじぃ」に
連絡を取りたい姑さん。
見たことも、話したことも、名前もわからないけれど、
「自分を待っている」人なのだ。
その人と、暮らすという。
その人が恋しくてしかたがない。
せつないなぁ。
誰だって、「必要としてくれる誰か」のために生きたいのだ。
お姑さんは、息子である夫にも孫にも大事にされている方だと思う。
でも、ちがうんだよね。きっと。
大事にされるより、必要と、されたいんだね、きっと。
あとがわりのじぃは、どこで、
お姑さんを必要として待っているのだろうか。。。
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