選択肢
父は、積極的治療を選択した。
夫は、新薬のすすめも全部断ってあるがままを選択した。
その人の人生感の中での選択。
でも、どっちを選んでも、結局は自分が納得する終末を向かえるためのプロセス。
父は、膀胱で3度、肺で6クールの抗がん剤治療をし、2年を生き抜いた。
回復期もあり、おちょこ1杯のお酒、車いすでの外出や買い物、できる小さなことひとつひとつを心から楽しめた。
夫は、劇症期をのりこえ、今は小康状態。
20キロ落ちたところで体重減はゆるやかになり、
人間ってこんなわずかな食事で生きることができるんだと思うほど、省エネモードに体が変化し。
新陳代謝も遅くなったおかげで、入浴できなくても体臭も出ず、進行もゆるやかでいる。
いっときの劇的回復を望める新薬を使った父は、したいことが少しだけできたが、
そのかわり、がんの復活も早く、衰弱し始めると早かった。
夫は、静かに余生を過ごす道を選んだ。
きっと、最期までゆるやかに、自宅の中での生活を、生きてくれるのだろう。
何処に行きたいとか、何をしたい、という欲求が強くでない、ただ、我が家で家族とともにありたいと願う人。
息子が元気にたいらげる食事風景を、楽しく眺める人。
この人は、あがかないのだろうか、強い願望や焦燥は出ないのだろうかと、不思議に思えたりもしたが。
逝くことの受け入れ方も、またひとそれぞれなんだなぁ。
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