2011年12月09日
壊れて泣いたって願いは届かない
http://youtu.be/xVq_XnRArKA
ドリカム「朝がまた来る」歌詞
おばあちゃんに言わせると、わたしは強情なんだそうです。
昔、実家の母が亡くなった時、泣き崩れなかったわたしに、悲しくもないのか、情のコワい娘だね、と言われました。
今回も、同じように思う人もいるようです。
私の悲しみは、わたしのものです。
人に見せるためのものではありません。
今も、私の想いは夫だけが、その深さを知っています。
人前で泣いて見せなくてごめんなさい。
Posted by のんたん
at 13:28
泣きたい時に泣けばいい。
人は人
好きなように言わせておけば、いい。
ご主人のため、のんたんさん自身のために
泣きたい時に、思いきり泣いて下さい。
涙が枯れるまで、泣いて下さい。
ありがとうございます。
時間が要りますね。
気力がでないうちは、がんばらないで、ただ生きようと思います。
今しばらくは、頑張らないこと、立ち向かわないことを心に留めて、静かに生活していくほうがいいと思うなあ。。。
頑張らないことを、意識して頑張るのも今は必要なんだと思うよ。
おばあちゃんが、次第にのんたんの気持ちを察してくれるようになることを、願ってます。
おばあちゃんに優しくしてあげてね。
母が亡くなったのは15年も前のこと。
わたしも若かったので、まだ心のクッションがしっかり効いていて、
おばあちゃんの
「だれのおかげで看病に通えたと思うんだ」「仕事を休んで看病に行っているのだからお父さんからちゃんとこづかいもらってこいよ。」などの悲しい言葉も、受け流すことができました。けれど、年をとったのでしょう、今更あのころの言葉が刺さっていることに気がついたりします。
おばあちゃんは今は認知症も進み、今回の夫の逝去も内緒にしています。
もうきついことも言わなくなりました。
彼女自身に対しては今はわだかまりはありません。
夫の母として大事に見守っていきたいと思います。
自然に泣けるときがくれば泣くし、泣かないから悲しんでいないわけではありません。
身近な人の死を乗り越えるのには、時間がいるし、そのプロセスは一人一人違って当然です。
ただ、ご主人の逝去と過去にのんたんさんの受けた心無い言葉による心の傷が癒されますようお祈りするばかりです。
トラウマが何年もたって別の場所で刃になってしまって、昔のできごとが頭をめぐってしまいました。
これを機会に昇華できたらと思います。
ありがとうございます。