2019年12月13日
終演 シューベルト歌曲「冬の旅」
※お写真は、あずみ野コンサートホール館長長谷川さんが撮ってくださったものをお借りしました。


12月8日 あずみ野コンサートホールで開催された、うたとピアノと語りで紡ぐ「冬の旅」。
ほぼ満席で幸せな舞台に、素晴らしい演奏者のお二人とご一緒してきました。
2年前の「水車小屋の娘」のコンサートでの高評価もあり、今回もテノールの清住さんが語りで物語りを紡いで行く形でとオファーをくださり、「冬の旅」の舞台となりました。
清住さんがドイツ語の壁を少しでも低くできればとの思いで試みてくださったこの形は、語りが音楽の補助的なものでは無く、新しい表現の世界として広げていこうとのお気持ちを持ってくださったことから、語りの表現においてかなりの部分任せてくださった舞台でした。
八十二文化財団でのロビーコンサートと、今回のホールコンサート、ともにアンケートで、その試みを喜んでくださったお客様のお声の数々に、心有り難く、また清住さんがくださったオファーへの責任もいくぶん果たせたかと安堵しています。
そして、ピアニスト坂内 美季さんの伴奏は今回も素晴しく、清住さんのご信頼にしかと応えておられました。
そのおふたりと同じ舞台で、すぐ間近で迫力の音を聴きながら語れた至福を胸に、ますますの精進を誓っております。
遠路を駆けつけて下さった皆様。ありがとうございました。
今、サロンはたくさんのお花に彩られ、春のようです。


12月8日 あずみ野コンサートホールで開催された、うたとピアノと語りで紡ぐ「冬の旅」。
ほぼ満席で幸せな舞台に、素晴らしい演奏者のお二人とご一緒してきました。
2年前の「水車小屋の娘」のコンサートでの高評価もあり、今回もテノールの清住さんが語りで物語りを紡いで行く形でとオファーをくださり、「冬の旅」の舞台となりました。
清住さんがドイツ語の壁を少しでも低くできればとの思いで試みてくださったこの形は、語りが音楽の補助的なものでは無く、新しい表現の世界として広げていこうとのお気持ちを持ってくださったことから、語りの表現においてかなりの部分任せてくださった舞台でした。
八十二文化財団でのロビーコンサートと、今回のホールコンサート、ともにアンケートで、その試みを喜んでくださったお客様のお声の数々に、心有り難く、また清住さんがくださったオファーへの責任もいくぶん果たせたかと安堵しています。
そして、ピアニスト坂内 美季さんの伴奏は今回も素晴しく、清住さんのご信頼にしかと応えておられました。
そのおふたりと同じ舞台で、すぐ間近で迫力の音を聴きながら語れた至福を胸に、ますますの精進を誓っております。
遠路を駆けつけて下さった皆様。ありがとうございました。
今、サロンはたくさんのお花に彩られ、春のようです。
タグ :冬の旅
2019年11月11日
松山三四六さんの紙飛行機~桔梗ヶ原開拓150周年記念コンサート~
「三四六さんの紙飛行機」

昨日の 桔梗ヶ原開拓150周年記念 三四六さんコンサート。
いっぱい練習してきた宗賀小学校児童の合唱、塩尻西部中学校吹奏楽部の演奏とのコラボ、三四六さんの軽妙な緊張ほぐしの功もあり、幸せに成功、会場は大きな拍手に包まれました。
アンコールはもちろん「FLY」。
今回もメッセージが書き込まれた紙飛行機がたくさんステージに投げ込まれました。
前の方に座るお客様は後ろから舞って来てステージに届かない紙飛行機をさらにステージへとリレー投げしていくのです。
そしてすべての紙飛行機がステージに届きます。三四六さんのコンサートでの定番です。
コンサート終了後、ファンのみなさんがこの紙飛行機を回収していきます。
そして回収した紙飛行機にまた次のメッセージを書き込み、次のコンサートで飛ばします。
想いをつなぎ、いくどもいくどもステージを舞う紙飛行機。
桔梗ヶ原開拓150周年でこどもたちが書いただろうメッセージは誰かの手でまた次につながってほかの会場で空を舞うのでしょうか。
舞台袖からステージ上、舞台照明の中を漂って落ちていく紙飛行機を眺めエンディングに思わず手を合わせておりました。
この日、式典では 台風19号 で被害に遭われお亡くなりになった方々に黙祷を捧げ、募金箱を設置させていただきました。
多くの皆様のご協力をいただきました。ありがとうございました。
万感の想いを込めてくださった「#千曲川」沁みました。
実行委員の皆様のお気配りと奔走で、この日が無事終わりましたこと、ほんとうにおめでとうございました。

昨日の 桔梗ヶ原開拓150周年記念 三四六さんコンサート。
いっぱい練習してきた宗賀小学校児童の合唱、塩尻西部中学校吹奏楽部の演奏とのコラボ、三四六さんの軽妙な緊張ほぐしの功もあり、幸せに成功、会場は大きな拍手に包まれました。
アンコールはもちろん「FLY」。
今回もメッセージが書き込まれた紙飛行機がたくさんステージに投げ込まれました。
前の方に座るお客様は後ろから舞って来てステージに届かない紙飛行機をさらにステージへとリレー投げしていくのです。
そしてすべての紙飛行機がステージに届きます。三四六さんのコンサートでの定番です。
コンサート終了後、ファンのみなさんがこの紙飛行機を回収していきます。
そして回収した紙飛行機にまた次のメッセージを書き込み、次のコンサートで飛ばします。
想いをつなぎ、いくどもいくどもステージを舞う紙飛行機。
桔梗ヶ原開拓150周年でこどもたちが書いただろうメッセージは誰かの手でまた次につながってほかの会場で空を舞うのでしょうか。
舞台袖からステージ上、舞台照明の中を漂って落ちていく紙飛行機を眺めエンディングに思わず手を合わせておりました。
この日、式典では 台風19号 で被害に遭われお亡くなりになった方々に黙祷を捧げ、募金箱を設置させていただきました。
多くの皆様のご協力をいただきました。ありがとうございました。
万感の想いを込めてくださった「#千曲川」沁みました。
実行委員の皆様のお気配りと奔走で、この日が無事終わりましたこと、ほんとうにおめでとうございました。
2019年10月21日
2019年10月03日
今年からのハロウィーンについて
【ハロウィーンについて】
おはようございます。
10月といえばハロウィーンですね。
ここ数日で何件かお問い合わせがあったので、一度ここでおはなしします。
塩尻のハロウィーンは昨年実行委員長が交代、事務局が行政となり、新体制となりました。
昨年は移行期で、まだ私が実行委員に残っていましたが、この春からはもうノータッチになっています。
Facebookのハロウィーンページの管理も新体制の実行委員さんがしてくださっています。
そして当日のステージも、パフォーマンス、MCなど、地元高校生のみなさんが盛り上げてくれるスタイルになるとのこと。
新実行委員会の様子は動画配信もされたり、さまざまに楽しい工夫が散りばめられています。
こうしてより進化しつつある塩尻の、塩尻らしい、こどもたちのハロウィーンを、私はこれから参加者として孫たちと楽しませていただきます。
12年以上の長きにわたりMCを務めさせていただきありがとうございました。
一度お休みをいただいたのは、夫が末期告知を受け、在宅で看護をしていた2011年。
すべてのお仕事をお断りしての臨戦でした。
暮れに看取って春にはお仕事を再開したものの、フリーランスの怖さ、一度断ったお仕事は戻らないだろう、また一から、と覚悟していました。
でも、ほとんどのオファーが、再び「今年は、できる?」と戻ってきました。
奇跡でした。
ハロウィーンのMCもそのひとつでした。
それから、1日だけのオファー受けから実行委員会のメンバーとなり、一年を通して会議に関わるようになっていきました。
言いたいことを言わせていただきながらありがたい数年でした。
旧体制時の、あのときの再オファーの御恩を忘れません。
私は、夫の死後の数年、寝ても覚めてもがんがんお仕事をさせていただくことで、闇に落ちそうな心が都度救われてきました。
だから今があります。ありがとうございました。
塩尻のハロウィーンは市民の想いが集結し、熟成し、こんな大きなイベントになった稀有なお祭りです。
どうぞ、末永くこのお祭りが市民に浸透して「あの祭りがあるから帰ろう」と大人になっても胸に浮かぶ存在になっていきますようにと孫を抱きながら祈っています。
本当に、ありがとうございました。

おはようございます。
10月といえばハロウィーンですね。
ここ数日で何件かお問い合わせがあったので、一度ここでおはなしします。
塩尻のハロウィーンは昨年実行委員長が交代、事務局が行政となり、新体制となりました。
昨年は移行期で、まだ私が実行委員に残っていましたが、この春からはもうノータッチになっています。
Facebookのハロウィーンページの管理も新体制の実行委員さんがしてくださっています。
そして当日のステージも、パフォーマンス、MCなど、地元高校生のみなさんが盛り上げてくれるスタイルになるとのこと。
新実行委員会の様子は動画配信もされたり、さまざまに楽しい工夫が散りばめられています。
こうしてより進化しつつある塩尻の、塩尻らしい、こどもたちのハロウィーンを、私はこれから参加者として孫たちと楽しませていただきます。
12年以上の長きにわたりMCを務めさせていただきありがとうございました。
一度お休みをいただいたのは、夫が末期告知を受け、在宅で看護をしていた2011年。
すべてのお仕事をお断りしての臨戦でした。
暮れに看取って春にはお仕事を再開したものの、フリーランスの怖さ、一度断ったお仕事は戻らないだろう、また一から、と覚悟していました。
でも、ほとんどのオファーが、再び「今年は、できる?」と戻ってきました。
奇跡でした。
ハロウィーンのMCもそのひとつでした。
それから、1日だけのオファー受けから実行委員会のメンバーとなり、一年を通して会議に関わるようになっていきました。
言いたいことを言わせていただきながらありがたい数年でした。
旧体制時の、あのときの再オファーの御恩を忘れません。
私は、夫の死後の数年、寝ても覚めてもがんがんお仕事をさせていただくことで、闇に落ちそうな心が都度救われてきました。
だから今があります。ありがとうございました。
塩尻のハロウィーンは市民の想いが集結し、熟成し、こんな大きなイベントになった稀有なお祭りです。
どうぞ、末永くこのお祭りが市民に浸透して「あの祭りがあるから帰ろう」と大人になっても胸に浮かぶ存在になっていきますようにと孫を抱きながら祈っています。
本当に、ありがとうございました。

タグ :ハロウィーンしおじり
2019年09月26日
彼岸明け一考

むかしむかし。母が小学生のとき(戦前だ!)先生にひどく怒られたことがあったそうだ。
宿題の、作文だったか、絵だったか、習字だったか思い出せないんだけど
「大人に手伝ってもらったのは分かっています。けしからん。」と。
まったく手伝ってもらってないのにそう断定されて深く傷ついたそうだ。
年月を経て「ちょっと下手くそにした方が褒めてもらえるよ」と母は幼い私にアドバイスをくれた。
だが、残念なことにわたしは母に似ず凡才で、精一杯やっても「う~~ん」な、どんくさい子だったのでアドバイスは役に立たなかったが、幼稚園年長の時に雲に表情を書いたら先生に顔がある訳がないものにふざけて書いてはいけない消しなさいと剣幕で怒られて以来、「こういうことかな」と母の言葉を思い出し、感じたままには書かない、を心がけた。。
非凡であることは、素晴らしいのと同時に、孤独になることでもある。
ありがたいことに、わたしは凡ではあるが、その非凡の孤独をかぎわけることができる才能は、ある気がする。
寄り添って、生きること。がわたしのこの生涯のお題のような気もしている。
生きづらかった母は、可愛い人だった。
高校生の私を真夜中にゆすり起こして、こんこんと心情を語った彼女の寂しさを今ならわかる気がする。
あなたはわたしより大人だよねと泣いた彼女に、そんな彼女を見て育ったが故に過剰適応者となった私はここでも求められる大人像を作ってはいたけれど。
その葛藤をしるには、わたしは若すぎたのだ。
彼岸明けの一考。南無。
タグ :彼岸明け
2019年08月12日
お盆準備
昨日、もうお寺さまが棚経にいらっしゃったので、今朝早くにお墓に。
つつがなく、家族でこうしておられることに、おかげさまでございます。南無南無。
盆の入りよりすこーし早めにお出迎え。
つつがなく、家族でこうしておられることに、おかげさまでございます。南無南無。
盆の入りよりすこーし早めにお出迎え。