2013年08月19日
意訳 税所敦子刀自(7)
前編はこちら
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(7)
さて。
明治維新後、男性の社会はその身分にとらわれず、才能のあるものを採用する道が拓けたが、後宮にあっては旧態依然、
縁故の公家娘が世間知らずのまま女官となり、年を重ね内儀に務める世界が残っていたので、優美でしとやかではあるものの、
「女特有」の世界観が蔓延し、澱んでいた。
宮中入りにあたり、あつこは、これまでの、控えて控えて、信任を得るという身の置き方では思う仕事ができないと踏んだ。
ましてや、京育ちとはいえ、薩摩に下った武家の出のわが身が、いきなりの大出世で乗り込むのである。
女官たちの中でも権掌侍(ごんしょうじ)になれるものは、ほんの一握り。
あまたの女官たちの反感は、すさまじいものであろう。
わが身が軽く扱われるということは、求めてくださった皇后の御名を辱めることにつながる。
あつこは、持ち前の知力と所作の完成度に磨きをかけ、宮中言葉も完璧にマスター、
身にまとうものも、年相応よりいささかに地味にかつ、野暮にならず、
錦織育ちのあつこの真骨頂、その審美眼で質素ながら着道楽京都人の目にもさすがと納得させる通なものをそろえ
宮中入りをする。
もとより、日々のお勤めのほか、薙刀などたしなみ、足腰、背筋、年に似合わない筋力を保っていたあつこ、
その立ち姿歩き姿は、こまごまとした仕事は下女たちにまかせっきりでろくに筋力もない女官たちの振る舞いとは一線を画し。
雅でかつ威厳にあふれ、対峙したものは思わず、腰を低くして身を引きたくなる所作を貫いた。
歯を見せて破顔するあつ子特有の快活な笑顔も封印、唇を閉じ目は笑わぬ微笑を持って京都の女官になりきった。
それでも、このあつこを辱めようと、廊下ですれ違う折、わざとその着物の裾を後ろから踏んで転ばせようと試みた女官がいたが、
気配感ずるに敏感なあつこのこと。その女官には目もくれず、着物の裾からその足を離すまで、微動だにせず、立ち止まった。
あつこの威厳とその無言の威圧にわが身が恥ずかしくなった女官は、さっと控え、この瞬間に力関係が定まった。
明治皇后は、かつて憧れであったあつこが宮中入りして自分に仕えてくれることになり、内心はたいそう喜んであつこを迎えたが、
心得のある御方であったので、それは二人だけの間だけでのこと、皆の前では、けして特別なお声掛けなどはせず、他の女官と平等に扱った。
二人は、ときに人知れずアイコンタクトで、心を通じ合った。
女官たちはあつこの力量にぐうの音も出ない。責めどころを、あつこの出所に持っていった。
「徳川さんからまつりごとを奪い返して天皇さんの御代にしてくれはったのは、よろしうおすえ。けど、都を東京に移しはったのは気に入りまへんな。あかんことをしてくれはったとみぃんなサツマを恨んでますのやで。」
お上の左右に侍する人々が公家一族の特権であったものを、田舎の野卑なものたちが我が物顔で出仕している、その恨みを
「あなたは京育ちだからいい(許せる)けれどね」
「新参者だから、わからないだろうけれども」
と前置きをしては、ことあるごとに皮肉にして投げつけた。
また、皇后は天皇と仲睦まじく、姑である皇太后にも嫁として心を尽くしていたし、皇太后もこの嫁を可愛く思っていたにもかかわらず
取り巻く女官たちは、皇太后側、皇后側ともにプライド高く、せげみ合い、火のないところに煙を立ててはゴシップを作り、もて余すエネルギーを発散させていた。
内儀の様子をあらかた把握したあつこは、時の内閣総理大臣、伊藤博文に内々に面会を申し込まれ、
墓参の折に乗じて人知れず会見を果たす。
どうだろう、内儀の改革は果たせそうですか、と問う伊藤公。
「内儀の改革はすこぶる重大で一筋縄にはいきません。
なまはんかな覚悟ではとん挫します。失礼ながらあなたはその覚悟がおありですか。」
厳然として問うあつこの気迫は、のちに伊藤公に 「あんな、えらい婦人に初めて会った。」と言わしめた。
あつこは、女官たちには威厳を保ちつつ、その下に使えるものたちには、温かな心配りを見せた。
無理難題、威張られ慣れていた他の女官の部下たちは、いつしか、あつこの下で働くものをうらやましがるようになる。
なにくれとなく、あつこに相談しに来たり、教えを乞うようになり、あつこは公務のほか寝る間を削ってその者達の相手をし、正しき道を説いた。
女官たちのいじめには柳に風をつらぬきながら、下の者の意識をまず作った。ボトムアップの改革である。
下の者どもの意識が変わると、それまで同調して意地悪づいていた部下がついてこないので己だけが悪者のようで居心地が悪い。
女官たちは、あからさまな下卑た態度をひっこめるようになった。
つづく
(※ 文中、女官の京ことばは、「平井秋子著 楓内侍」より引用させていただきました。)
2013/08/19
前編はこちら
2013/08/19意訳 税所敦子刀自(5)前編はこちら2013/08/17意訳 税所敦子刀自(4)前編はこちら2013/08/16意訳 税所敦子刀自(3)前編はこちら2013/08/16意訳 税所敦子刀自(2)前編はこちら2013/08/15意訳 税所敦子刀自(1)このところ、古書づいている。まだほかにも書きたい題材があるが、今…
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(7)
さて。
明治維新後、男性の社会はその身分にとらわれず、才能のあるものを採用する道が拓けたが、後宮にあっては旧態依然、
縁故の公家娘が世間知らずのまま女官となり、年を重ね内儀に務める世界が残っていたので、優美でしとやかではあるものの、
「女特有」の世界観が蔓延し、澱んでいた。
宮中入りにあたり、あつこは、これまでの、控えて控えて、信任を得るという身の置き方では思う仕事ができないと踏んだ。
ましてや、京育ちとはいえ、薩摩に下った武家の出のわが身が、いきなりの大出世で乗り込むのである。
女官たちの中でも権掌侍(ごんしょうじ)になれるものは、ほんの一握り。
あまたの女官たちの反感は、すさまじいものであろう。
わが身が軽く扱われるということは、求めてくださった皇后の御名を辱めることにつながる。
あつこは、持ち前の知力と所作の完成度に磨きをかけ、宮中言葉も完璧にマスター、
身にまとうものも、年相応よりいささかに地味にかつ、野暮にならず、
錦織育ちのあつこの真骨頂、その審美眼で質素ながら着道楽京都人の目にもさすがと納得させる通なものをそろえ
宮中入りをする。
もとより、日々のお勤めのほか、薙刀などたしなみ、足腰、背筋、年に似合わない筋力を保っていたあつこ、
その立ち姿歩き姿は、こまごまとした仕事は下女たちにまかせっきりでろくに筋力もない女官たちの振る舞いとは一線を画し。
雅でかつ威厳にあふれ、対峙したものは思わず、腰を低くして身を引きたくなる所作を貫いた。
歯を見せて破顔するあつ子特有の快活な笑顔も封印、唇を閉じ目は笑わぬ微笑を持って京都の女官になりきった。
それでも、このあつこを辱めようと、廊下ですれ違う折、わざとその着物の裾を後ろから踏んで転ばせようと試みた女官がいたが、
気配感ずるに敏感なあつこのこと。その女官には目もくれず、着物の裾からその足を離すまで、微動だにせず、立ち止まった。
あつこの威厳とその無言の威圧にわが身が恥ずかしくなった女官は、さっと控え、この瞬間に力関係が定まった。
明治皇后は、かつて憧れであったあつこが宮中入りして自分に仕えてくれることになり、内心はたいそう喜んであつこを迎えたが、
心得のある御方であったので、それは二人だけの間だけでのこと、皆の前では、けして特別なお声掛けなどはせず、他の女官と平等に扱った。
二人は、ときに人知れずアイコンタクトで、心を通じ合った。
女官たちはあつこの力量にぐうの音も出ない。責めどころを、あつこの出所に持っていった。
「徳川さんからまつりごとを奪い返して天皇さんの御代にしてくれはったのは、よろしうおすえ。けど、都を東京に移しはったのは気に入りまへんな。あかんことをしてくれはったとみぃんなサツマを恨んでますのやで。」
お上の左右に侍する人々が公家一族の特権であったものを、田舎の野卑なものたちが我が物顔で出仕している、その恨みを
「あなたは京育ちだからいい(許せる)けれどね」
「新参者だから、わからないだろうけれども」
と前置きをしては、ことあるごとに皮肉にして投げつけた。
また、皇后は天皇と仲睦まじく、姑である皇太后にも嫁として心を尽くしていたし、皇太后もこの嫁を可愛く思っていたにもかかわらず
取り巻く女官たちは、皇太后側、皇后側ともにプライド高く、せげみ合い、火のないところに煙を立ててはゴシップを作り、もて余すエネルギーを発散させていた。
内儀の様子をあらかた把握したあつこは、時の内閣総理大臣、伊藤博文に内々に面会を申し込まれ、
墓参の折に乗じて人知れず会見を果たす。
どうだろう、内儀の改革は果たせそうですか、と問う伊藤公。
「内儀の改革はすこぶる重大で一筋縄にはいきません。
なまはんかな覚悟ではとん挫します。失礼ながらあなたはその覚悟がおありですか。」
厳然として問うあつこの気迫は、のちに伊藤公に 「あんな、えらい婦人に初めて会った。」と言わしめた。
あつこは、女官たちには威厳を保ちつつ、その下に使えるものたちには、温かな心配りを見せた。
無理難題、威張られ慣れていた他の女官の部下たちは、いつしか、あつこの下で働くものをうらやましがるようになる。
なにくれとなく、あつこに相談しに来たり、教えを乞うようになり、あつこは公務のほか寝る間を削ってその者達の相手をし、正しき道を説いた。
女官たちのいじめには柳に風をつらぬきながら、下の者の意識をまず作った。ボトムアップの改革である。
下の者どもの意識が変わると、それまで同調して意地悪づいていた部下がついてこないので己だけが悪者のようで居心地が悪い。
女官たちは、あからさまな下卑た態度をひっこめるようになった。
つづく
(※ 文中、女官の京ことばは、「平井秋子著 楓内侍」より引用させていただきました。)
Posted by のんたん
at 23:31
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