2012年07月18日
生きている音

梅雨も明け夏の気温はなはだしい。
クーラーのない我が家、窓を開け放って熱気をしのいでいるが、家の中に居ても汗だく。
綿モンペ(一応インド服)とTシャツという、超おばちゃんスタイルで
首にかけたタオルで顔を拭き拭き内職に励んでいるw。
窓を開けていると、いろんな音がはいってくる。
団地なのでそれぞれのご家庭の朝の音。
行ってらっしゃいの声、茶碗を洗う音、掃除機の音、出かかる車の音。電話のベル。
午前中は、カッコウの鳴き声も、それに混ざって聞こえてくる。
それから、農家の耕耘機?の音、遠い国道からトラックのクラクションがたまに。
郵便配達のバイク音、ポストにことっと落ちる音。
宅配便のトラック、ドアの開け閉めの音でああ、宅配車だなあと思っていると
たったったと小走りの音、続いてぴんぽーんとどこかのお宅を訪れたチャイム音。
夕方になると、近所の中学生ちゃんが、ボールをつく音。バスケ部なのかな。
からすといっしょにかえりましょ~、の農協放送が流れるころになると幾分暑さがやわらぎ。
巣へ帰る鳥たちの鳴き声がしばらくにぎやかに聞こえ。
窓の向こうに見える山が赤く染まる。
国道の走行が増えだし、鈍い車音が絶え間なくなってくる。
風の向きによっては、踏切の音も流れてくる。
「ごはんーーっ!」
ママの呼ぶ声が。呼応して小走り音、ドアが勢いよく開いて閉まる音。
子産み、子育ての10年を100件余りの集合住宅で過ごした。
その頃の、にぎやかさを思い出す。
生活の音。
しあわせの音。
生きている、音。
涙が、汗と一緒に流れたりする。
Posted by のんたん
at 19:29
│日記
素敵な音のお話。
今は、テレビの音、携帯プレーヤーの音、ゲームの音、人工的な音が溢れている。
でも、お話のように、いろんな音に囲まれて、包まれているんですね。
お話読んでいたら、少し暑さを忘れました。
今日もお仕事おつかれさまでした。
しあわせなコメント、ありがとうございます。
音と色。耳が聞こえ、目が見えることのありがたさをしみじみと感じます。
目と耳の障碍者支援にかかわっている、この身は、「伝える」ために生かされているのだと、感動をもつたび、想います。
もっと学びたい。
見え聞けることは、確かに当たり前のことでは、無いですね。
「伝える」ために生かされている。
素晴らしい想いをもっていらっしゃいますね。
夫が亡くなった日、その年最後の講座仕事が朝日村でありました。
病室で握った手を外して私の手の甲をぽんぽんと触れ
「時間だろ?早く行きなさい、遅れてご迷惑かけてはいけないよ」と。
それが最期の会話になりました。
急変の知らせは帰りの車の中でした。
病院にたどり着いたときは、人工呼吸の真っ最中、呼びかけもむなしくほどなく息を引き取りました。
急変の瞬間になぜそばにいられなかったのか、なぜ私だけ生きているのかと後悔で身が切られる思いが続きました。
でも半年して、仕事が再開できたのは、やっぱり夫の言葉の力でした。
「ひとにはそれぞれ役割がある。」
夫を亡くしまだ私が生きている意味はなんだろう役割があるとすればなんだろうと。
生かされているうちに、「行きなさい」と最後に行ってくれた「伝える」仕事を再開しなければ、と思えるようになりました。
すみません、つい長文を書いてしまいました。
素敵な旦那様とのお話。読ませていただきました。
深く染みました。
心にある想いが今ののんたんさんなんですね。
上手くコメできませんが、大切なお話を教えていただきありがとうございます。
ありがとうございます。
すみません、ここ数日、ちょっぴりナーバス。
いきなり、こんな話、重かったですよね。
読んでくださってありがとうございます。。
いえ、逆に私のようなものに、お話を読ませていただき、ありがとうございます。
ちょうど、こんな時期なのですね。だからナイーブに。
私は二年前の夏に母を亡くしました。衰弱して倒れ、救急搬送されて、その後転院して、そのまま。
最後は誰も看取れませんでした。
どうしても、何か悔やまれてしまっている部分があって。
あ、すみません、状況ぜんぜん違うのに。ごめんなさい。
そうでしたか。
お母様のご逝去、おさみしいことでしたね。。
どんな状況で、そのときできることを尽くしたつもりであっても、見送ったものには、もっとなにかできたのではないか、あの時もし、と悔やみが残るものですねぇ。。
そのまま、ということは、あまりお苦しみがなく昇天なさったのでしょう。それは何よりお母様に幸いであったこと。とお思いになって、どうぞお心を休めてくださいませね。
わたしも夫が息を引き取った時のほほえみ顔を最期のプレゼントと思っております。