2012年11月23日
母心と姑心
サバの煮つけをしていて、ふっと思い出して独り笑い出してしまった。
昔結婚間もないころ、お姑さんがうちの両親を招いて食事会をしてくれた。
サバの煮つけが出た。
宴席では、お客さんであるわたしの両親と、婚家の男衆には、身の部分、
当然お姑さんとわたしには、尾の部分が置かれていた。
それを見てとった実家の母が後に「あんたは、かわいそうなとこに嫁いでしまったねぇ。」と眉をひそめた。
同じ尾の部分でも、私の前には煮崩れた小さな切れ端が置かれていたからだという。
「お義母さんったら、自分の前に大きい方をおいてさ、食べ盛りのあなたにあんな・・。」
母の心としてみれば、嫁に行っても21歳の娘、
親は子に、できるだけおいしいところを選んで盛り付けるのが本能。
その娘が「虐げられている」と、目に映ったようだ。
お姑さんにしてみれば、「嫁というものは、自分を一番最後に考えるもの、自分を勘定に入れずにいてちょうど。」
そのポリシーがあるから、当然の配膳であったのだろう。
この娘は、もう「うちの嫁」という、私の母に対する暗黙のアピールであったのかもしれない。
わたしはといえば、当時やせっこけで食が細く、煮魚もあんまり好きでなかったため、全く頓着もなく、むしろ
お姑様の作ったものは残さず食べなければいけないプレッシャーがあったので
小さな切り身にほっとしていたくらいだった。
なので、母の言い分がありがたいとも思えずに、「そんなもんよ、いいじゃん別に。」といなしてしまったことが、
今になって、申し訳なく 「親心ありがと、ママ」と笑いつつ、つぶやいてみたり。
同じ母であるけれど、子の母と、子の嫁の母の心理の違いの妙を、あの頃はさほど実感しなかったけれど。
自分が、母になり、子に食べさせる喜びを知り。
いずれ、姑になる日も近づく年になった。
お嫁さんのご両親とのお付き合い、お嫁さんとのおつきあい、息子との距離の保ち方。
これまでの人生の経験を、生かせていける婆に、なっていきたいものだ。
昔結婚間もないころ、お姑さんがうちの両親を招いて食事会をしてくれた。
サバの煮つけが出た。
宴席では、お客さんであるわたしの両親と、婚家の男衆には、身の部分、
当然お姑さんとわたしには、尾の部分が置かれていた。
それを見てとった実家の母が後に「あんたは、かわいそうなとこに嫁いでしまったねぇ。」と眉をひそめた。
同じ尾の部分でも、私の前には煮崩れた小さな切れ端が置かれていたからだという。
「お義母さんったら、自分の前に大きい方をおいてさ、食べ盛りのあなたにあんな・・。」
母の心としてみれば、嫁に行っても21歳の娘、
親は子に、できるだけおいしいところを選んで盛り付けるのが本能。
その娘が「虐げられている」と、目に映ったようだ。
お姑さんにしてみれば、「嫁というものは、自分を一番最後に考えるもの、自分を勘定に入れずにいてちょうど。」
そのポリシーがあるから、当然の配膳であったのだろう。
この娘は、もう「うちの嫁」という、私の母に対する暗黙のアピールであったのかもしれない。
わたしはといえば、当時やせっこけで食が細く、煮魚もあんまり好きでなかったため、全く頓着もなく、むしろ
お姑様の作ったものは残さず食べなければいけないプレッシャーがあったので
小さな切り身にほっとしていたくらいだった。
なので、母の言い分がありがたいとも思えずに、「そんなもんよ、いいじゃん別に。」といなしてしまったことが、
今になって、申し訳なく 「親心ありがと、ママ」と笑いつつ、つぶやいてみたり。
同じ母であるけれど、子の母と、子の嫁の母の心理の違いの妙を、あの頃はさほど実感しなかったけれど。
自分が、母になり、子に食べさせる喜びを知り。
いずれ、姑になる日も近づく年になった。
お嫁さんのご両親とのお付き合い、お嫁さんとのおつきあい、息子との距離の保ち方。
これまでの人生の経験を、生かせていける婆に、なっていきたいものだ。
Posted by のんたん
at 01:21
│日記
実家の母だったら何も考えずに、お嫁さんは大切にしなくちゃ、と一番大きな切り身を前に置きそう。
子供の数とか家業とかで、こうしなければ家の中が回らない、というのは有ったのかもしれませんね。
そうですねぇ。
義母はよく「わたしが太ってるんは、煮物でもなんでも、実の方は家族に食べさせて、残った煮汁をおかずにご飯をかきこんで食べてきたからだ。」と言ってました。
お前もそう生きろ、と言いたかったんかもしれませんね。