2013年02月08日
休みの日の合言葉
おじいちゃんが亡くなった翌年、埼玉から夫は静岡に単身で赴任、私と子供は残されたおばあちゃんとの同居に入りました。
数年後、都会からのUターンを希望した弟夫婦と同居したいというので、私たちは塩尻に居を構えました。
けれど、年若い弟夫婦となかなかうまくいかず二人が出て行った後、
兄の、それじゃ俺が定年前に早期退職して田舎に帰るから、という言葉を
おばあちゃんは励みにしていました。
ところが、その兄が石原裕次郎さんと同じ難しい名前の病気で急逝してしまい、
心細くなったおばあちゃんは、お仏壇ごと、我が家に引っ越してきました。
おばあちゃんは甘え上手な人で、自分からおねだりはしません。
普段おばあちゃんの起床前に出勤をする夫が、朝起きてきて家にいると
にこにこと「今日は、休みか?」と。夫の顔を覗き込みます。
すると、阿吽の呼吸で「そうだよ、どこか行きたいところがあるのかい?」と必ず夫が聞いてくれていました。
一事が万事、その方法です。
病院に連れて行って、ではなく「足が痛い気がするんだよねぇ」
美容院に乗せて行って、ではなく「やだわやぁ頭みぐせくってさぁ」
服を買いたいときは、「また同じもの着ていきゃ笑われないかやぁ」と言いういい方で
こちらが「それじゃこうしようね」と言い出すのを待つのです。
おばあちゃんは、車でお出かけするのが大好きでした。
もしかしたら、弟夫婦とうまくいかなくなったのは同じようにしていて、
夫婦の時間がなくなっていくことにお嫁さんがつらくなったのかもしれません。
わたしには子供がいたので、そのつらさがあまりなかったのが幸いでした。
お花屋さん、外食、衣服のお買い物。
息子の車で出かけ親子2人の時間を楽しむことがおばあちゃんにはいきがいでした。
でもある日、いつものように「今日は休みか?」と期待を込めて尋ねたおばあちゃんに、
夫は「そうだよ、休み。休むために休んだ日だよ。」といつもと違った答え方をして、動こうとしませんでした。
とても疲れていたのです。
数週間、土日もなく働いてようやくとった代休の日だったのです。
期待にはずれた返答に、おばあちゃんは鼻白んでご機嫌が悪くなりました。
「年よりを馬鹿にして」とぶつぶつお仏壇に向かい、機嫌が悪い時のりんの鳴らし方をしました。
叩くようにちんちんちんちん!!と連打するのです。
それを聞いた夫が、疲れていたせいでしょう、温厚が一瞬なりをひそめ、険しい顔で
なんでも、ばあさんの思い通りに行くと思うな、と声を荒げました。
数日しておばあちゃんは元の家に帰ってしまいました。
夫は、ほっとけ、とめずらしくおばあちゃんのご機嫌を直しに行きませんでした。
しばらくして、おばあちゃんちのお隣の奥さんが電話をくれました。
「おばあちゃん、風邪をひいてしんどいそうだけど、息子にはしらせなんでくれってわざわざ言うもんで、これは知らせた方がいい話だと思ってね。」
自分からお願いができないおばあちゃんを、心得てくださった電話でした。
わたしが迎えに行きました。
そんな繰り返しをしながら、暮らしてきました。
そしておばあちゃんの認知症が進み、夫がさらに忙しくなり、二人のお出かけはなくなっていきました。
今、施設で車いす生活になったおばあちゃん。
彼女を車いすごと乗せられる福祉車両に買い換えようかと先日車検の時にふと思いました。
わたしでは彼女の抱き上げができないので、そのまま乗れる車に。
でも。
ばあちゃんが乗せてもらいたいのは、自分の「息子」の車です。
その息子は、もうこの世にいない。
やめることにしました。
「明日は息子が休みだで、迎えにくるだぃ。」
そう、にこにこと、私と認識できないまま、私にささやいたおばあちゃんに
「よかったねぇ、おしゃれして行きましょね。」と答えつつ。
帰りの車で泣きました。
どんな理由で泣けたのか。
よくわかりませんでした。
数年後、都会からのUターンを希望した弟夫婦と同居したいというので、私たちは塩尻に居を構えました。
けれど、年若い弟夫婦となかなかうまくいかず二人が出て行った後、
兄の、それじゃ俺が定年前に早期退職して田舎に帰るから、という言葉を
おばあちゃんは励みにしていました。
ところが、その兄が石原裕次郎さんと同じ難しい名前の病気で急逝してしまい、
心細くなったおばあちゃんは、お仏壇ごと、我が家に引っ越してきました。
おばあちゃんは甘え上手な人で、自分からおねだりはしません。
普段おばあちゃんの起床前に出勤をする夫が、朝起きてきて家にいると
にこにこと「今日は、休みか?」と。夫の顔を覗き込みます。
すると、阿吽の呼吸で「そうだよ、どこか行きたいところがあるのかい?」と必ず夫が聞いてくれていました。
一事が万事、その方法です。
病院に連れて行って、ではなく「足が痛い気がするんだよねぇ」
美容院に乗せて行って、ではなく「やだわやぁ頭みぐせくってさぁ」
服を買いたいときは、「また同じもの着ていきゃ笑われないかやぁ」と言いういい方で
こちらが「それじゃこうしようね」と言い出すのを待つのです。
おばあちゃんは、車でお出かけするのが大好きでした。
もしかしたら、弟夫婦とうまくいかなくなったのは同じようにしていて、
夫婦の時間がなくなっていくことにお嫁さんがつらくなったのかもしれません。
わたしには子供がいたので、そのつらさがあまりなかったのが幸いでした。
お花屋さん、外食、衣服のお買い物。
息子の車で出かけ親子2人の時間を楽しむことがおばあちゃんにはいきがいでした。
でもある日、いつものように「今日は休みか?」と期待を込めて尋ねたおばあちゃんに、
夫は「そうだよ、休み。休むために休んだ日だよ。」といつもと違った答え方をして、動こうとしませんでした。
とても疲れていたのです。
数週間、土日もなく働いてようやくとった代休の日だったのです。
期待にはずれた返答に、おばあちゃんは鼻白んでご機嫌が悪くなりました。
「年よりを馬鹿にして」とぶつぶつお仏壇に向かい、機嫌が悪い時のりんの鳴らし方をしました。
叩くようにちんちんちんちん!!と連打するのです。
それを聞いた夫が、疲れていたせいでしょう、温厚が一瞬なりをひそめ、険しい顔で
なんでも、ばあさんの思い通りに行くと思うな、と声を荒げました。
数日しておばあちゃんは元の家に帰ってしまいました。
夫は、ほっとけ、とめずらしくおばあちゃんのご機嫌を直しに行きませんでした。
しばらくして、おばあちゃんちのお隣の奥さんが電話をくれました。
「おばあちゃん、風邪をひいてしんどいそうだけど、息子にはしらせなんでくれってわざわざ言うもんで、これは知らせた方がいい話だと思ってね。」
自分からお願いができないおばあちゃんを、心得てくださった電話でした。
わたしが迎えに行きました。
そんな繰り返しをしながら、暮らしてきました。
そしておばあちゃんの認知症が進み、夫がさらに忙しくなり、二人のお出かけはなくなっていきました。
今、施設で車いす生活になったおばあちゃん。
彼女を車いすごと乗せられる福祉車両に買い換えようかと先日車検の時にふと思いました。
わたしでは彼女の抱き上げができないので、そのまま乗れる車に。
でも。
ばあちゃんが乗せてもらいたいのは、自分の「息子」の車です。
その息子は、もうこの世にいない。
やめることにしました。
「明日は息子が休みだで、迎えにくるだぃ。」
そう、にこにこと、私と認識できないまま、私にささやいたおばあちゃんに
「よかったねぇ、おしゃれして行きましょね。」と答えつつ。
帰りの車で泣きました。
どんな理由で泣けたのか。
よくわかりませんでした。
Posted by のんたん
at 00:04
│日記