2014年08月07日
いってまいります
祖父の遺品の中に、多くの若者の軍服写真があった。
写真館でとったもの。
祖父は中学の教員であった。
元教え子たちが、出征前、軍服で写真を撮り、手紙を添えて祖父に送られたものと思われる。
いくつかそれらしい便せんも残っていた。
学生時代の想い出や、祖父への感謝や、家族のことなどが綴られてあり。
御国のため、という当時の思想も色濃くあり。
そして一様に、文末には「行ってまいります。」とある。
彼らは、帰ってきただろうか。
写真を恩師である祖父に送ってきた心情は、なんであったろう。
生きて帰る、と書けない時勢柄。
行ってまいります、は、お別れの辞であったろうか。
わたしが、ここにあったことを、覚えていてください、の内心か。
祖父と、写真を眺めながら、彼らの消息を聴いてみたかった。
修身教育を担っていた祖父は、どんな返信をしたためていたのだろう。
内心の葛藤は、いかばかりであったろう。
目を閉じるまで、寡黙を貫く人であった。
昨日の広島平和記念式典。
この後長崎、
そして15日の終戦記念日に続く。
花森安治 「無名戦士の墓」より朗読で引用
写真館でとったもの。
祖父は中学の教員であった。
元教え子たちが、出征前、軍服で写真を撮り、手紙を添えて祖父に送られたものと思われる。
いくつかそれらしい便せんも残っていた。
学生時代の想い出や、祖父への感謝や、家族のことなどが綴られてあり。
御国のため、という当時の思想も色濃くあり。
そして一様に、文末には「行ってまいります。」とある。
彼らは、帰ってきただろうか。
写真を恩師である祖父に送ってきた心情は、なんであったろう。
生きて帰る、と書けない時勢柄。
行ってまいります、は、お別れの辞であったろうか。
わたしが、ここにあったことを、覚えていてください、の内心か。
祖父と、写真を眺めながら、彼らの消息を聴いてみたかった。
修身教育を担っていた祖父は、どんな返信をしたためていたのだろう。
内心の葛藤は、いかばかりであったろう。
目を閉じるまで、寡黙を貫く人であった。
昨日の広島平和記念式典。
この後長崎、
そして15日の終戦記念日に続く。
花森安治 「無名戦士の墓」より朗読で引用
Posted by のんたん
at 09:36
│日記
さだまさしさんの歌に兵士の手紙ときよしこの夜というのがあります。
最後にと綴られた手紙。
帰ってこない為に出かける出兵。
心残りの人に向けて、最後に伝えたい言葉。
それを朗読しているうた。
ちょうど同じ様な時期ではないでしょうか。
考えさせられますね。
子の最後の手紙を読む母の気持ちになるとたまりませんね。。。