2015年01月11日
不覚の涙に自己反省

あんなところで「女」つかうんじゃねーよ、と後から、自己嫌悪タイム。
地区役がここ何年も続いていた。
巡り合わせで、役の中でもトップにつかなきゃいけないものとか。
で、そのつど、これ以上続けては受けられないので考慮してもらいたい、とお願いしていた。
でも、それって持ち回りで役員が動いていく地区の世界では「申し送られる」ことではなかったらしく。
朝清掃の時、「来年は〇〇だでね」と当然のごとくお話が来たので。
「え・・。その役だけは無理なのでとお伝えしてきたのですが、はずしてもらえないのですか?」と
びっくりして言ってしまい、
「そんなことはできるわけない、順番だし住人の役目だじ。そんなこといいだしたらきりがないでね!」と言われて、
つい涙目になってしまったのだ。
役をやるということは、夜や休日に会議やイベントがあり、それが仕事時間の私にとっては、即、減収につながることなので
扶養者もちには、正直、きつい。 おばあちゃんの施設費が、だんだん上がっていることも頭が痛いのに。
くわえて、田舎で男社会、役会議に出てくるのはほとんど、旦那衆だ。
数年はずしてもらえるか、他の役で代替えできないかと話してみたが、順番が狂うとそのつもりのほかの人が困るという。
毎日あることじゃないし、外せない何日を融通するだけのことじゃねいかい、と
さも非常識だなぁとばかりにいわれると、せつないのだが、その外せない何日がもれなく、
これも「外せない」仕事とかぶる日に当たるのだ。
せつなくなって、もう、いっそ町場へ引っ越しちゃおうかなとまで思ってしまった。
どうしてもずらしたかったら、自分で頼んで歩いて、と言われたが
過去役で、できないという人のために自分たちで調整した覚えがあるのでそれも、え?とせつなく。
いろんなことが重なっているので、気持ちがつかれているのだろう。
次の役を決めて総会に出さなきゃいけない人にとっては、はた迷惑な申し出でしかなかったろうし、
私の方は、まるで、外様いじめかよ!の気分だった。
わたしは、もうやすみたいのだ、せめて1,2年、休みたいのだ。
じゅうにぶんに、地域のためにあれこもれも、働いたではないか。と。
でもそれは、他人には、関係ない、私の事情なのだ。
話ながら、思い直し、
「わずらわせて悪かったねぇ、自分の事情だもんね、少し考えて、すぐ返事するでね、悪いねえ。」と頭を下げて
帰宅した。
まだ気持ちが落ち着かず、もうほかのみんなは帰ってしまった朝の道をひくひくと嗚咽しながら、ひとり歩いた。
ガキだよなぁ、いい年しても。
やるっきゃないか。 わたしには頼めるおとうちゃんはいないのだ。 私が世帯主なのだ。
やりましょう。
にこにこ、で。
うん。
気持ちの切り替えに顔面朝日浴びは有効っぽい.
うるる~。
「で、頼むってことはある程度の事情を話さなきゃいけないんだがいいかいね。」はい。すみません。だいじょぶです。
うるる~~。こんなしてもらったら、たとえダメでも嬉しくて頑張れるです。
ありがとうございます。