2016年07月30日
家族葬
義母を見送りました。
彼女の血族だけお呼びして家族葬をいたしました。
曹洞宗は通夜に納棺するのですが、
参列する者たちで取り囲み遺体の各部分に触りながら、また抱き上げながら装束を着せていくのです。
近しいものとしては最期のお別れの儀式、いとおしいものですが。
夫のときに、葬儀に来られないからと通夜のつもりで来た方々にも
お寺さまがそれを指示なさるので 私自身がとてもそれがつらかった思い出があります。
儀式のなかでお寺さまが指示なさる横で制止はできえません。
今回は義母ゆえなおさらに。
女性には、遺体といえど、公衆面前で着物の裾を割って足を持ち上げられるのは、本人もつらかろうと。
不義理となりました方々には、大変もうしわけありませんでした。
義母は眠ったまま、95歳の大往生。
お迎えは義父と息子(わが夫)であったでしょう、少し甘えたような幼顔にもみえるお顔で逝きました。
お世話になったグループホームは、高い天井の明るい明るい場所でした。

怒涛の1週間が終わり,仕事に戻りました。
まだ諸手続きは満載ですが、義母とゆっくり対話しながら、進めていこうと思います。
彼女の血族だけお呼びして家族葬をいたしました。
曹洞宗は通夜に納棺するのですが、
参列する者たちで取り囲み遺体の各部分に触りながら、また抱き上げながら装束を着せていくのです。
近しいものとしては最期のお別れの儀式、いとおしいものですが。
夫のときに、葬儀に来られないからと通夜のつもりで来た方々にも
お寺さまがそれを指示なさるので 私自身がとてもそれがつらかった思い出があります。
儀式のなかでお寺さまが指示なさる横で制止はできえません。
今回は義母ゆえなおさらに。
女性には、遺体といえど、公衆面前で着物の裾を割って足を持ち上げられるのは、本人もつらかろうと。
不義理となりました方々には、大変もうしわけありませんでした。
義母は眠ったまま、95歳の大往生。
お迎えは義父と息子(わが夫)であったでしょう、少し甘えたような幼顔にもみえるお顔で逝きました。
お世話になったグループホームは、高い天井の明るい明るい場所でした。

怒涛の1週間が終わり,仕事に戻りました。
まだ諸手続きは満載ですが、義母とゆっくり対話しながら、進めていこうと思います。