2009年10月24日

インド・祈りの舞と語り  ~祈りの舞と神の御心と~

昨夜は、友人で南インド舞踊家の横田ゆうわさんの「インド・祈りの舞と語りVol.3」公演があった。

ここ何年か、裏方としてお手伝いをしている。

開演するとスタッフも交代でホールの中に入り彼女の踊りを堪能する。

わたしは、ちょうど、共演の俳優久保さんが語り、ゆうわさんがさまざまな女神のポーズをとる、という気になっていたシーンを観ることができて、嬉しかった。

でも、もっと嬉しかったのは、ゆうわさんのお姉さんが心配りをくれて、最後の演目を通して観られたことだ。

最後の演目は「喜びと感謝の歌・ティッラーナ」。

同じ旋律が繰り返される中で、様々なリズムが刻まれる。

生命のエネルギーを満たしつつ、大いなるものへ祈りを込めて踊りを捧げる。


この生命力にあふれた踊りを堪能して、わたしは解放された。


実はこの数日、胸がパンパンになっていた。

20日急逝した朗読ボランティアの仲間の葬儀を翌日に控え、わたしはまだ、弔辞が書けないでいた。


第一報の訃報の後、故人の娘さんから葬儀日程連絡と弔辞の依頼を受け、

すぐ、休会者を含めた全員へ連絡網で、日程と、弔辞のための故人への言葉つのり、

その後ご相談させていただき、告別に故人の朗読音声を流すことにもした。


録音室に独りこもって、故人の朗読データを探しては編集する半日を過ごし、

胸がいっぱいになりながら仕事にもどって残業をし、

ようやく帰宅すると、家の電話には仲間の想いが留守電とFAXにあふれるように届いていた。

すべての想いに呼応して、いっぱいになった胸は隙間を探せず、出す(書く)という作業がままならなくなっていたのだ。


ティッラーナの踊りを通して観ることができたおかげで、

どう書くべきか、どう書けるか、が目の前に開けた。



公演の撤収を終え、スタッフ慰労を途中で抜けて帰宅したのは日付の変わるあたり。

何も考えず、入浴をして、就寝した。


そして今朝。もう一度熱い湯に入浴して目を覚まし、葬儀までのタイムリミットを前に、

ほんとうに、あふれるように手が動き、みんなの想いの入った弔辞を書くことができた。

編集した録音テープと書き終えたばかりの弔辞を手に、ぎりぎりで教会にたどりつくと、

仲間が入り口で待っていたくれた。


弔辞は、牧師様や参列者のすすりあげる音をいただきながら、故人に確かに届けることができたと思う。



実は昨日の踊り手、ゆうわさんは、教会は違うけれど、牧師さまの娘だ。

その彼女の舞に助けられて、わたしは敬虔なクリスチャンであった友人を心から見送ることができた。



わたしは仏教徒でもクリスチャンでもないが、

神は確かにおられて 人は 生かされていると思っている。





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Posted by のんたん  at 22:17 │日記