2010年03月16日
不登校今昔
先日、外部講師を務めている中間教室の「卒業生を送る会」に出席してきた。
この日のために、専任の先生方と生徒たち自らが企画し準備した、心づくしの温かい会だった。
今年の卒業生は全員進学が決定していて、晴れやかな笑顔がそろっていた。
生徒たちが考えたゲーム、練習を重ねたダンスパフォーマンス、歌。
女子生徒たちがそれぞれの家で自分で焼いてきたクッキーやケーキやプリンをいただきながらの茶話会。
花束贈呈、外部講師、先生方からの贈る言葉。
卒業生徒たちの1人ずつの言葉。
生徒たちの言葉は、それぞれが歩んできた不登校生活の振り返りと先生方への感謝で、
1人1人が話しながら涙をこらえられず、
気のきく女生徒からティッシュを渡されてはぬぐい、鼻をかみ、時間をかけ泣き笑いしながら語った。
ここは、彼、彼女らの、まさに「居場所」だった。
先日の市民タイムスで、不登校経験者のアンケート結果と分析が記事になったいたが
不登校のきっかけは「友人関係」がトップ。続いて、「学力」、次が「先生との関係」だった。

この中間教室の卒業生たちも
普通教室ではいつも「気を使いまくり」「緊張して」そして「疲れ果てて」「体調を崩し」病院の先生に勧められて
中間教室にたどりついた、という子が多かった。
また、記事によると、学校に行けなかったときに利用した施設は、
中間教室の他、学校内相談室、保健室、民間フリースクール。
だが、どこも利用しなかった、つまり家にいた子が一番多い。
家に居場所がしっかりあるなら、それも可だろうなと、私個人としては思ったりする。
行政の「不登校ゼロを目指して」、というスローガンには、内心違和感ももつのだが。
ともあれ現状で満点というわけではないが、受け皿を大人が考えてくれる時代になった。
その昔、自身が不登校気味な学生生活を過ごした時代には不登校、という言葉は使われず
「怠学児童」(学ぶことを怠けている子ども)というくくりで、扱われてた。
朝登校しても、教室にみんながそろい始めホームルームが始まる時間になると、
教室にいられなくなって廊下に出てしまう。
頭痛や呼吸の苦しさで階下の保健室にいっても
「また、あなたなの。仮病の人はここに入れない」という
保健室の先生の言葉で、2度と保健室に出入りはできなくなり、校舎の壁にもたれてうずくまったりした。
皆が教室に入り、ひとけのなくなった場所へ移動することで自分をしのいでいた。
学校に行けない日は、いったん登校するふりをして、母親が出勤したのを見送って窓から部屋に戻った。
家庭訪問で登校数が足りないことを告げられ初めて登校していないことを知った家族は
ときおり私の部屋を点検するようになり、
わたしは開き扉の洋服ダンスの狭い空間にひざを抱えて丸くなり暗闇で息を殺してイヤホーンで音楽を聴いて隠れていた。
長い時間そこにいると酸欠で頭痛はひどくなる。
音をたてないようにそおっと外の空気を吸っては隠者生活をした。
そのうち、母親の口調を真似て「欠席」電話をすることを覚え、学校から家や母親の職場に連絡がいかなくなった。
親の任意のもとに休んでいるのなら、学校としては責任がないからだ。
とんだところで、悪い修行をしたおかげで、高校での放送部活動にはとても役にたった。(笑)今も。
良い時代になった、とは言わない。
子どもたちが置かれている状況は、私のころより「放置、放任」がないだけに、違う意味で息苦しいだろう。
どこであってもいい。無理に「学校」という箱でなくていい。
今の自分をそのまま、受け入れてくれている「場所」があれば
子どもは自分でなんとか自分を生かす道を模索し、大人になっていける。
良質な「場所」を、選択肢を子どもに渡して整えていける社会であってほしいものだ。
この日のために、専任の先生方と生徒たち自らが企画し準備した、心づくしの温かい会だった。
今年の卒業生は全員進学が決定していて、晴れやかな笑顔がそろっていた。
生徒たちが考えたゲーム、練習を重ねたダンスパフォーマンス、歌。
女子生徒たちがそれぞれの家で自分で焼いてきたクッキーやケーキやプリンをいただきながらの茶話会。
花束贈呈、外部講師、先生方からの贈る言葉。
卒業生徒たちの1人ずつの言葉。
生徒たちの言葉は、それぞれが歩んできた不登校生活の振り返りと先生方への感謝で、
1人1人が話しながら涙をこらえられず、
気のきく女生徒からティッシュを渡されてはぬぐい、鼻をかみ、時間をかけ泣き笑いしながら語った。
ここは、彼、彼女らの、まさに「居場所」だった。
先日の市民タイムスで、不登校経験者のアンケート結果と分析が記事になったいたが
不登校のきっかけは「友人関係」がトップ。続いて、「学力」、次が「先生との関係」だった。

この中間教室の卒業生たちも
普通教室ではいつも「気を使いまくり」「緊張して」そして「疲れ果てて」「体調を崩し」病院の先生に勧められて
中間教室にたどりついた、という子が多かった。
また、記事によると、学校に行けなかったときに利用した施設は、
中間教室の他、学校内相談室、保健室、民間フリースクール。
だが、どこも利用しなかった、つまり家にいた子が一番多い。
家に居場所がしっかりあるなら、それも可だろうなと、私個人としては思ったりする。
行政の「不登校ゼロを目指して」、というスローガンには、内心違和感ももつのだが。
ともあれ現状で満点というわけではないが、受け皿を大人が考えてくれる時代になった。
その昔、自身が不登校気味な学生生活を過ごした時代には不登校、という言葉は使われず
「怠学児童」(学ぶことを怠けている子ども)というくくりで、扱われてた。
朝登校しても、教室にみんながそろい始めホームルームが始まる時間になると、
教室にいられなくなって廊下に出てしまう。
頭痛や呼吸の苦しさで階下の保健室にいっても
「また、あなたなの。仮病の人はここに入れない」という
保健室の先生の言葉で、2度と保健室に出入りはできなくなり、校舎の壁にもたれてうずくまったりした。
皆が教室に入り、ひとけのなくなった場所へ移動することで自分をしのいでいた。
学校に行けない日は、いったん登校するふりをして、母親が出勤したのを見送って窓から部屋に戻った。
家庭訪問で登校数が足りないことを告げられ初めて登校していないことを知った家族は
ときおり私の部屋を点検するようになり、
わたしは開き扉の洋服ダンスの狭い空間にひざを抱えて丸くなり暗闇で息を殺してイヤホーンで音楽を聴いて隠れていた。
長い時間そこにいると酸欠で頭痛はひどくなる。
音をたてないようにそおっと外の空気を吸っては隠者生活をした。
そのうち、母親の口調を真似て「欠席」電話をすることを覚え、学校から家や母親の職場に連絡がいかなくなった。
親の任意のもとに休んでいるのなら、学校としては責任がないからだ。
とんだところで、悪い修行をしたおかげで、高校での放送部活動にはとても役にたった。(笑)今も。
良い時代になった、とは言わない。
子どもたちが置かれている状況は、私のころより「放置、放任」がないだけに、違う意味で息苦しいだろう。
どこであってもいい。無理に「学校」という箱でなくていい。
今の自分をそのまま、受け入れてくれている「場所」があれば
子どもは自分でなんとか自分を生かす道を模索し、大人になっていける。
良質な「場所」を、選択肢を子どもに渡して整えていける社会であってほしいものだ。
Posted by のんたん
at 10:20
│不登校教室
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
そうですね・・・・・
先月の市の会議で“ゼロ”の話が出ました。
どんな気持ちも なく 「ゼロにしたい」と言えるのですね。
・・・・・・・・・・・・・
Yさんのお話しのことも 聞かせてね。
現場の先生方のお声や、特に親御さん、生徒さん自身の声がしっかり反映された政策であってほしいですね。
子どもと共に、親御さんのメンタルフォローもとても重要だと思える今日この頃です。
だから あんなに 落ち着いてるのかなぁ。
つい 寄りかかりたくなる 安心感があります。
せつないこと 辛いこと どんなことも経験して 無駄はない・・・なんて 簡単に言えない…けど 本当に 一生で考えたら。
思うことはいっぱいありますが
適当なこと言ってるようで 嫌ですね。
のんたんさんの言葉は いつも 重みがあります。
すごい経験、というと少しおもはゆいというか不思議な気持ちですが。(笑)
ちょっと変わった子、ではあったようです。
本人にマイノリティーだという自覚がなかったので、今振り返ると「不器用でつっぱって」いたなぁと思います。
だからうまく世間を渡れないと内心なやむ人に、「形からでもいいから」やってみてもいいかもよ、それは自分をいつわることではなく、という空気を持ってもらえたらなという思いもあったりします。
中間教室で出会う子たちは、わたしなんかよりずっと個性的に流されず事故認知の力を持っている。教わることは多いですねぇ。
彼らと関ってくださっていることに、
何より感謝です。
彼らは彼らなりに、感じたこと考えたことを
これからの人生の、良き肥やしにして、
歩んで行くことを祈らずにはおれませんね。
のんたんのお働きを、いつも尊敬しつつ、
かげながら応援しております★
中間教室にご縁が持てたことが必然なら、わたしこそがいただいたご縁ですね。
意図してきたわけではありませんが、これまで与えられた流れに沿って動いているうちに、今のあれこれがみな「リンク」していることに気がつかされます。
クラウンの道に縁があったことも、まちづくりにかかわってきたことも、朗読や手話を通してハンディキャップサービスの一端を担えていることも。
私に気づきをいただける道でありました。
あなたとの出会いといただいている交流も、心ふるえる世界を私に与えてくれています。