2010年07月31日

音訳か朗読か 朗読考

講座名は「朗読ボランティア養成講座」

しかし、うちのグループの実際の活動のなかには、「音訳的」読みと「朗読的」読みの両方が含まれている。

記事読みには、音訳的表現が適切だし、かといってラジオの民話朗読の時間にそれをやったら味もそっけもない。

対面朗読もしかり。 司会と影アナでも微妙に違いがある。

なので、「読み分け」の技術習得が必要となってくる。

これは、けっこう高いハードルだ。目指して講師をしているとはいえ私にとってもまだまだ雲の上。

だから音訳なら音訳。朗読なら朗読にしぼって学習していく方が、迷いは生まれないだろう。

しかし、副音声をやってみると、その「読み分け」技術は、視覚障がい対応の音声ガイドには必要不可欠なことだと感じたりする。

1人で映画などの音声ガイドを担う場合、状況説明は音訳的表現で淡々とこなし、ナレーション(字幕とは異なる画面内文字表現)部には、朗読表現でなければ映画の空気を損なう場合がある。

瞬時に表現を切り替える。ピッチの変化とともに、読みの変化も重要だ。

これがまざると、聞いている方に混乱が生じる。

影アナと司会が分業ということも珍しく、大抵は同じ人間が行うが、司会のテンションと影アナはやはり違ってくる。

影アナで落ち着いたアナウンスをした1分後に、司会のテンションでマイクを持てステージに進む。

司会としてエンディングを華やかに閉めても、そのテンションを持ちこまず、わきにひき、一呼吸のちには影アナのテンションに戻り、終了アナウンスをする。
お客様を現実に戻し、必要なインフォメーションを届ける役目だからだ。

ここにも「読み分け」というか「表現分け」が必要だ。

だから、そういう講座を進めている。

問題は、外部の講習に出た時だ。

音訳講座は、音訳にしぼり、朗読講座は朗読に絞った指導をする。

当たり前なのだが、受けに行った人たちがそれぞれの「ねばならない」部分にひきづられ、

自分の読みをどう発展させていっていいのか混乱して帰ってくることが多い。

取捨選択する度胸を持たないと、身動きが取れなくなる。

そのために、養成講座の中で繰り返し「自分を持て」という裏メッセージを送っている。

もちろん、基本はとことん身に入れることが前提だが

鵜呑み、なぞりは、ある程度うまくはなっても、その先、いつまでも自分の読みが確立していかない。

迷いは何年たっても生まれるものだが、そこに自分があれば、道がふさがることはない。

裏メッセージ、という形をとる理由は、「表」で、自分、自分と言いすぎると「自分」の下に「勝手」がついて理解されてしまう場合があるから。

きっと何年か読み続けている間に、そういうことかなぁ、と思ってもらえるかなと思っている。

何が正しいとか間違っているとかなんてない。

自分自身もまよいながら、でも、必要とされる現場でできることを尽くしている。

わたしは、そこから得てきた想いを伝えているにすぎない。

・・・生意気なとことをまぁよくもいえるものだ。。。と、書いてて自分でそう思う。
  

ご容赦。


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Posted by のんたん  at 22:08 │朗読ボランティア養成講座