2011年01月28日
愛された記憶

赤子がカメラに好い顔をするのは、カメラを構えた人物に愛着と安心をもっているときだそうだ。
赤子の私は、幸せそうに笑っている。
愛されていたのだなと思う。
後ろに映っているのは、亡き母が初節句で曾祖父にあつらえてもらったものだったらしい。
新しいきらびやかなお雛様には縁がなかったが、欠けた雛鼻や手を器用に紙粘土等で修正したり
持たせる扇を割り箸を削って楊枝と組み合わせて作ったりした古雛は、「手仕事」の面白さを教えてくれた。
年代物の雛顔は、新しいものに比べ、目も小さく顔立ちがおとなしく、でも品が良かった。
手放した実家と共に、今はないが、写真はあの時代を切り取って、記憶を呼び起こすカードになってくれる。
写真は、特に子供の小さかった時は、アップばかりになりがちだったが、やはり、背景とともに、残しておくのも大事だなぁ。
Posted by のんたん
at 20:26
│日記
お雛様の思い出はみんなそれぞれ持っていますよね。
私は、母が「お雛様を飾ってはいけない」と言われた?年代だったとかで、
自分のお雛様を買ってもらえませんでした。
保育園で作った紙の作品とガラスケースのお人形を飾ってあったのを思い出しました。
娘の時には両方の家からのお祝い金にプラスして
50万(お店ではそう言ってた)のお雛様を
2月末に半額で買いました。
私のも含めて2人分の値段だから、と妙な納得の仕方でした。
さすがにどこのお人形と比べても立派です。
今だったら買わないのに・・(笑)
お雛様の時期ですね。個々にお雛様に対する思い、有りますよね。私もガラスケースに入ったお人形さんしか、ありませんでした。私が寂しい思いをした分、実母が孫娘にはと、用意してくれました。飾る度、有り難さでいっぱいになります。
ありがとうございまず。
そうですかぁ。「私のも含めて2人分」
(笑)すてきな納得。
わたしは息子ばかりでしたので、お雛様にはその後、縁がありませんが孫の代にはまたお雛様に出逢えるかしらん。ババ馬鹿になるかしらん。
ありがとうございます。古いモノクロの写真は、未知の方のものでも何か懐かしく、心温まるものがありますね。封じ込まれた人生の一こまにそれぞれのドラマが存在しているからかしら。
お雛さま、というと、芥川龍之介の「雛」を思い出します。
売られることになったお雛様への女の子の想いが幻燈のように浮かび上がり、よい作品でした。
それでいて暖かみが画面全体から伺える写真です。
宝物ですね。
私の実家でもその昔、妹が飾ったような気がしますが、定かではありません。
農村地帯はどこも同じかったのですが、
特に生活に余裕があった訳ではないので、
遙かに地味だったかと思います。
そんな中で日々を送ったので、
今でも元気でいられるのかとも思います。
わたしたちの子ども時代は、もののありがたみが今の時代より格段に大きかったように思います。新しい靴下一足買ってもらえることが心ふるえる喜びでした。
2代目3代目のお下がりをあたりまえに思っていましたし、かじかむ手足もいとわなかった。
それがすべて、とは言いませんが、元気で年をとれる秘訣のなにかは、会ったような気がします。
今は長寿国ですが、50年後はどうでしょう。