2011年09月30日

いただく学び

病を得ると、特に食べられなくなってくると

人は心細くなるのだと思う。

食が細くなった頃の亡き父は、いろんな過去の食事風景の中から

美味しく食べた記憶を頼りに、「あれなら食べられるかも。」と

さまざまな食材を私に注文した。

その注文は細部にわたる。店の指定、産地の指定、銘柄の指定。

そのもの、でないといけなかった。こだわりが強く生まれるのだ。

これは、父特有のこだわりなのかと思って対応していたが

今、夫が同じような様子になってきている。

桃の缶詰ひとつでも、つくだ煮でも、魚でも、あそこのあれ、が食べたいのであって

別の店だったり、別の銘柄だったりすると、違うよ、となる。

また季節に合わない、なかなか見つからないものを指定するところも、

父と同じ。

夫には少なかったいわれなき不機嫌も、ときにでるようになった。

それを気難しい、と感じず、いとおしく対応できるのは、父との経験があるからだろう。

もっとさかのぼれば、お姑さんから与えられる難題への四苦八苦対応の経験が

父の病状からくる「やつあたり」に対して「柳」になれた種だったような気もする。

さらにさかのぼれば、子ども時代、亡母の気まぐれな溺愛とネグレクトの振り幅の中を生きてきたことが

感情振り幅の大きいお姑さんへの忍耐につながったのか、

と、そこまでは考えすぎかもしれないが。

起こることは、すべて必然なのだ。

与えられる様々は、全て、その後の人生を生きるための「学び」として与えられているのだろう。

ありがとう、と生きる気持ちを持っていけたら、(現実はため息もでるが)

平常心で暮らしていけるんだろうなぁ。






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Posted by のんたん  at 22:20 │日記