2011年12月08日

彼の選んだ最期

まだしっかり文章を紡げず、断片的なものになってしまうことをお許しください。

またしばらくは、関連記事をぽつぽつと書くことになろうかと思います。

ご容赦ください。

夫の逝去の日記に、お心のこもったお励まし、おなぐさめをいただき、本当にありがたくおります。

最先端医療の病院にあのままおりますれば、あと数日の延命が可能であったかと思います。

けれど、夫はあえて、今の病院を選びました。

そして夫の意をくんだ医師により、自然死に近い状態で息をひきとりました。

急変後の処置は、心臓マッサージのみ、父の時のようにさまざまな機器や薬滴やチューブもなく

むくみも病気による最小限の体で逝きました。

父は最期まで最先端の医療体制の中で逝くことを望み、夫はあるがままを選んだ。

どちらも、逝くものの意に沿った看取りをくださった、それぞれの医療関係のみなさまに改めて感謝です。

夫を看取ってくださった主治医は少し年配の普段は穏やかな話し方をする女医さんです。

糖尿病治療にここ数年夫がお世話になっていました。

ふいの呼吸停止でかけつけてから約1時間近く、心臓マッサージ施術の重労働による大量の汗と涙と鼻水もそのままに

ぐしゃぐしゃになりながら、なりふりかまわず心臓マッサージを続けてくださいました。

わたしは夫の手にすがって泣きながらふと我に返り

もう、じゅうぶんですのでとお止めすると

「年を越させてあげたかったのに、ごめんなさいね。」と号泣してくださいました。

呼吸器を押していた看護師さんも一緒に泣いてくださり、

看とりはぬくもりある時間をいただきました。

夫が選んだ最期は、ほんとに夫らしく。

何よりの救いでありました。


同じカテゴリー(介護)の記事画像
家族葬
ひろあきさん
春のころもがえ
後見人のお役目
ペコロスの母に会いに行く
施設の夏服
同じカテゴリー(介護)の記事
 家族葬 (2016-07-30 09:20)
 ひろあきさん (2015-07-23 00:01)
 春のころもがえ (2015-03-12 11:39)
 後見人のお役目 (2015-02-04 10:10)
 ペコロスの母に会いに行く (2014-09-07 11:07)
 施設の夏服 (2014-08-03 12:59)

Posted by のんたん  at 10:52 │介護

この記事へのコメント
ご主人と最後に関わった病院関係者の方たちも精一杯尽くされた様子が、ありありと目の奥に浮かびます。
ご主人も最後の最後まで生きようとした。のんたんも、医師の方や看護婦の方たちも、最後の最後まで、あきらめなかった。
その事実が、今の深い悲しみの中にあっても、少しずつ少しずつ、将来へ繋がる希望の光となって現れて、これからご家族を導いてくれるのではないかと思います。
Posted by たいかん at 2011年12月08日 17:51
たいかんさん

ありがとうございます。
いまはまだ煩雑な手続きの連続の中にいて気が張っております。書けるうちに書いておきたいこともあり、ご来訪くださる方にお付き合いさせる心苦しさもありますが、お汲み取りくださるお気持ちに甘えさせていただいております。

吐き出しになっていくかもしれない綴りを読んでくださりありがとう。。
Posted by のんたん at 2011年12月08日 22:34
立派な「最期」でしたのね…。
ご葬儀に参列させて頂くことで、
さらに、ご主人のお人柄の良さがひしひしと伝わってきました。
のんたんの「挨拶」も素晴らしすぎるほど素晴らしく、お二人の、そしてご家族の
愛情の深さを知らされました。

まだ深い悲しみの中におられると思いますが、
どうかどうか、ゆっくりと休まれてくださいね。
心も身体も癒されますようお祈りしています。
Posted by ゆうわ at 2011年12月09日 09:16
ゆうわちゃん

暖かいハグをありがとうございました。
ものが喉を通らなかったあの日、あなたの差し入れてくれたとろとろのキュウイフルーツが渇きをいやしてくれました。
Posted by のんたんのんたん at 2011年12月09日 13:31