2011年12月13日

通らなければならない道

転院前の松本市の総合病院へ入院給付金請求のための診断書をもらいにいく。

一緒に松本市内での手続きをすますつもりで朝から出かける。

市役所で亡き夫の謄本をとり、放置していた亡き父の各銀行口座の手続きに回る。

順路として最後に回した総合病院へ行くと、偶然元主治医に廊下で「Iさん?」と声をかけられる。

夫の逝去とお世話になった御礼を伝える。

「外来のたびいつも、きつい話しかできなかったですね、、希望のあるおはなしができず、申し訳なかった。

お悔やみ申し上げます。」と言ってくださる。

寄り添ってくださった日々に改めて頭を下げた。

ここを松本方面の順路の最後にしたのは、やっぱり足を向けたくない思いがあったから。

いつも、受診の順番が来るまで休ませてもらっていた処置室が、受付の隣に見える。

あの入口に、夫の車いすを置いて中で夫は横になっていた。

今日も誰かの車いすが同じようにたたんで入口にある。

この廊下を進むと夫の居た病棟に続く。何度ここを急いだだろう。。

平静を装っても、顔が歪んでしまうのを感じる。


塩尻に戻って、最期を看取ってくださった病院へ支払いに。

看護婦詰め所により、御礼とともに菓子折をお届する。

看とりにいてくださった看護師さんたちが夜勤との引き継ぎの最中で揃っていた。

「ご立派な最期だったねぇご主人は。最期まで嘆かれなかった。」もう一度一緒に泣いてくださって。

「忘れようとしなくていいよ、一生忘れられないからあの瞬間はね。わたしの時もそうだったから。」

婦長さんの言葉。数年前ご主人をやはりガンで見送っているとのこと。

ここ数日の私のフラッシュバックを見通したようなお言葉に、胸が詰まる。そして救われる。

目の前に夫が寝ていた病室のドアがある。

駆け込んだ廊下がある。

熱いお湯で何度もタオルを洗った給湯室がある。

アノドアヲアケタラ アノヒトガ 「キタカ、サムカッタカ」とコエヲカケテクレルキガシテ アシガ トマル。

来なければならない場所、病院ふたつ。

ためらいに先延ばしの日々、気力を振り絞って、今日を選んだ。

今日ね、あたし、がんばったよ、お父さん。




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Posted by のんたん  at 21:01 │日記

この記事へのコメント
切ない思い出があるところは避けて通りたい。
でもでも、いろいろな手続きで通らなければならない道。
心を強くして、通ったんですね。
お疲れ様でした。
ゆっくり、休んで、下さい。
Posted by 84848484 at 2011年12月14日 22:07
今日は、頑張りましたね。
頑張ったことを、心のなかで、もっともっと褒めてあげてくださいね。

婦長さんの言葉、同じ経験をした人だからこそ伝えられる言葉のように思えました。

のんたんが伝えてくれる言葉のひとつひとつから、人の繋がりの大切さを、日々教えられています。

今日も、ありがとうございました。
Posted by たいかん at 2011年12月14日 22:22
8484さん

ありがとうございます。
やはり現場に行った後は気持ちが波打ってなかなか落ち着きません。
しのぐ道を模索しています。
Posted by のんたん at 2011年12月14日 23:05
たいかんさん

仏前でお茶を淹れて一緒に飲みました。
なにをしてもねぎらってくれていた夫の言葉をまたもらいたくて、なんと甘えた心根で暮らしていたことか、改めて実感します。
お骨のそばにいると安らぎます。
やすらぐのに長く居れません。
現実の苦しさから逃げたい気持ちが芽生えています。
Posted by のんたん at 2011年12月14日 23:10