2011年12月21日

外界で生きる息子たち

わたしは仕事もやめて家にこもっているので外界との接触がなく、ある意味あの日から時間がとまっている。

でも息子たちは、葬儀の翌々日から、仕事に学業に、日常生活にいやおうなく戻っていった。

下息子が昨夜帰宅して、夕飯を食べながら話していった。

「学校やバイト先に戻ると、今までと同じように当たり前の日常があって、自分とのギャップに躊躇した。」と。

恋バナ、単位のはなし、クリスマスのどんちゃん計画、まわりは俺に関係なくいつも通り動いている、

そこになんかガラスの壁があって音や風景が遠いんだ。しーんと冷めてる自分がいてさ。

もちろん、普通にしてるんだけど、、、なれるのに少し時間が必要だった。


・・・。

そっかぁ。。

わたしは、「浸って」いられるけど、あなたたちは外界に身を置いていてそこで順応が必要だったんだねぇ。

がんばったね。

上息子は、何も言わず、淡々と出勤を続けているけれど、きっと内心では同じような想いを経験したんだろうなぁ。。

彼らは、もう、わたしより、大人なのかもしれない。



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Posted by のんたん  at 22:35 │日記

この記事へのコメント
大切な人、失いたくない人を失った悲しみの経験は、自分自身と向き合い、自分の人生観を否応無く考えさせられる経験でもあると思います。

悲しみの受け止め方も、悲しみの表現の仕方も、ひとそれぞれ。

だからこそ、気持ちを聴く機会を持ち、気持ちを理解してあげることが、とても大切なんだと思います。

間違っているかもしれませんが、もしかすると息子さんは、今感じていることをお母さんに聴いてもらって、自分の気持ちをわかってもらいたかったんじゃないかな、と文面を読みながら思いました。
Posted by たいかん at 2011年12月22日 23:39
たいかんさん

上の子は子どもの頃あまえんぼうの泣き虫でした。
今は言動がほんとに大人。動じません。
まるで保護者のようです。(笑)

下の子は子どもの頃は逆にとても大人っぽくて背伸びをしているようにみえました。
今は、かえって自分を出せるようになった様子で葛藤もありのまま話してくれることがあります。

それぞれなりの「自分構築」の過程があるようです。

うれしく見守っています。
Posted by のんたんのんたん at 2011年12月23日 00:02