2012年01月02日
動こう
お勝手と洗濯以外なんにもしない1日半を過ごし
少し気力充填。
まだ山にある残りの片付け物に手をつけ始める。
馬力ブルトーザー仕様は戻ってこないが、それでも一個ずつ整理が付く。
春までに、一個ずつでいいからと自分に言い聞かせつつ。
2月の総会までに常会の書類も整えていかねばね。
四十九日法要へのプレッシャーが重い。
お墓建立のことも。
お寺様とのやりとりへの気の重さだ。
残念なことだが気持ちを許してお付き合いできる関係は持てず。
葬儀もこちらの思いをお伝えするのに気合気力が必要だった。
逝去後即一報のときから、だめだ、こりゃ、と泣きたくなったが
高圧に弱いわたしにしてはよく頑張ったと内心自賛。
でも、亡くなったおじいちゃんが、おばあちゃんが元の家から自転車でいける墓地をと選んだお寺様だ。
その遺志を汲み今後も檀家として折り合えるお付き合いをしていかねばならない。
世帯主になるということは、表でものを言わねばならないということなんだ。
腹を太く、生きねば。
笑顔でコーティングした鋼の意思を。
少し気力充填。
まだ山にある残りの片付け物に手をつけ始める。
馬力ブルトーザー仕様は戻ってこないが、それでも一個ずつ整理が付く。
春までに、一個ずつでいいからと自分に言い聞かせつつ。
2月の総会までに常会の書類も整えていかねばね。
四十九日法要へのプレッシャーが重い。
お墓建立のことも。
お寺様とのやりとりへの気の重さだ。
残念なことだが気持ちを許してお付き合いできる関係は持てず。
葬儀もこちらの思いをお伝えするのに気合気力が必要だった。
逝去後即一報のときから、だめだ、こりゃ、と泣きたくなったが
高圧に弱いわたしにしてはよく頑張ったと内心自賛。
でも、亡くなったおじいちゃんが、おばあちゃんが元の家から自転車でいける墓地をと選んだお寺様だ。
その遺志を汲み今後も檀家として折り合えるお付き合いをしていかねばならない。
世帯主になるということは、表でものを言わねばならないということなんだ。
腹を太く、生きねば。
笑顔でコーティングした鋼の意思を。
Posted by のんたん
at 14:31
│日記
しきたりや作法を優先してしまうお寺さんだったのでしょうか。
そのお気持ち察します。
そんなときは感情がざわざわとして、とてもいたたまれない気持ちになってしまいますよね。
親族のこうしたい、ああしたいを聞き届けてくれて、その上で一番最善のやり方や進め方をアドバイスしてくれるお寺さんだと、安心して仏様を任せられますのにね。。。
まだまだ片付けものも沢山ありますよね。
一つ片付けると、一つ心にできた穴が塞がっていくものなのかもしれませんね。
毎日一つずつ片付けていくその小さな積み重ねが、この春の新しい力となってきっと戻ってくると思いますよ。
無理せず、時々さぼりながら、ぼちぼちと。。。
もともと母や父の時に手厚い寄り添いをしてくださった某セレモニーセンターに葬儀一式をお願いしたかったので、まずそちらに遺体搬送をお願いしてお寺に連絡をしました。
檀家であるお寺は、葬儀は寺で、というポリシーなので、第一声から反発きわまりなく。
死後1時間もたっていない状況下での携帯からの電話で延々と業者を使うなんて云々とまくしたてられ、このまま電話を切りたいという衝動を必死で抑えておりました。
お風呂に入れないことをさみしがっていた夫に湯灌をしてあげたいと手配をすると湯灌は不要、業者の金儲けに乗るなとこれまた激しいご反発にあい。
聞くだけ聞いて「わたしがしたいのです。」と通しました。
父の時の湯灌で、おくりびとのプロの方たちのお手際のあたたかさ、素晴らしさに触れておりましたので、一方的な偏見に腹立たしくありました。
湯灌に関しては初七日のお経訪問にも再度くどくどいわれましたので、私も再度
「湯灌は、していただけて『遺族の私が』本当に嬉しかったのです。」と静かにお返ししました。
通夜で、せっかく大事に大事に遺体を扱ってきれいに整えていただいた死装束のすそをひざ上までわり、たびやわらじやきゃたびらを、身内と言えど遺体扱いに慣れていない参列の者たちでぎゅうぎゅうと堅くなった体に履かさせる所作も「やめて」といいたい瞬間でした。
「他の寺ではこれらは遺体の上に乗せるだけですがそれは面倒だからです。うちは丁寧にちゃんと参列の方々に履かせていただいているのです。」とのご説明に、
そっと乗せるだけでいいのに、痛そうなのに、と悲しい思いでした。
お寺様にはお寺様の信条と正義が御有りなのでしょう。けれど、わたしはいやでした。
夫の亡きがらを、痩せた足をむき出しにされさらされたようでたまりませんでした。
痩せ細ってしまった自分を人様にさらしたくないと見舞いも断っていた人でしたのに。
そのこともご説明してありましたのに。
「これがうちの流儀」を通されてしまいました。
家に帰ってから夫にあやまりながら泣きました。
四十九日法要は、もうお寺様の言うとおり、お寺で行い、あとふきもお寺で、お寺の出入り業者さんにお願いします。
もう夫の体はない。私が頑張る必要もなく。
波風のない形を選んでいくつもりです。
夜中でも飛んできてくださった。
安心をくださった。どんな手配もしてくださった。どれだけ心強かったかしれません。
お寺様からは、くたくたになった葬儀翌日夜にお寺詣りを指定され寒空に早々のお支払いをしてきました。
2時間の逗留中は、10分ほどのお経とお寺の由緒と今後の法事のおはなしでした。
家族を失ったばかりの遺族への徳となるぬくもりのみことばひとかけらも受け取れませんでした。
お寺とのお付き合い、こんな世界なのですね。
お寺は、もっと親族に対して、寄り添って
心身を包んでくれるところだと思っていました
流儀とか言われたら、返す言葉もない・・。
逆に、セレモニーセンターでも、
ちゃんと対応してくれるところが
あるということも初めて知りました。
のんたんさん、いろんな意味で
葛藤があったんですね。
今回セレモニーセンターでわたしの担当となった方は、本当に物腰もお心配りも優しい方でした。
たまたまその方だったという運が良かったのかもしれませんが。
父の時の担当さんはきびきびとした、また、タイプの違った方でした。的確迅速、即対応。
ビジネスライクでありながら目配り気配り怠りなく、という感じで。
喪主が無駄話を好まない気の早い性質の兄でしたのでこのコンビネーションもこれはこれで良かったみたい。
子どもの頃接した実家の菩提寺の先代の和尚さまがそれは素晴らしい枯れ加減の翁和尚で、子ども心にああいう方が「和尚様」なんだというインプリンティングがあり、近代のお寺様には、なにかこう違和感が否めません。
遺族の思いを汲み取れない坊主は僧籍削除ですね。
寺の経営で、目の前にお金がぶら下がっている様な坊主とは、最低限の付き合いをするしかありませんね。
教育の世界も同じです。
子どもや親御さんの気持ちを受容できなければ、教育は成り立ちません。
篠ノ井は寺と葬儀社の関係がよく、助かります。
本寺の御住職は8484家も実家も同じなので、余計助かります。
葬儀の段取りは葬儀社に任せ、お経・講話等の出番はきっちりとお勤めになります。
初七日法要は葬儀に合わせて、その日にやってもらいます。
四十九日法要、1周忌、3周忌法要は、家に来てお経をあげて法要を終えると、檀家が決めた料亭で一杯やって、タクシーを呼べば、終わりです。
所変われば・・・・・です、ね。
気持ちを大きく、腹太くして、お寺さんとお付き合い下さい。
お寺さんを変えるって話もたまに聞きます。ドライに考えれば、それもありなんですけどね。先祖のこととか考えると、単純ではないですね。
そもそも生きている人の救いのための宗教が、弔いの専門家のようになってしまってること自体がおかしいのかもしれません。
一緒になって怒っても仕方ないんだけど、わたしにも「徳」が足りないんです。
ごめんなさい。
ただ、そういう話をよく聞くんで、自分だけじゃないよということを伝えられればと、いう単純な思いです。
強くしなやかに。
お寺様のお話を伺っていると、信念を持っていらっしゃるのはわかるのですが、受け手ありき、の観点が抜けていることが悲しいなぁと思ったりします。
実家のお寺も葬儀社に段取りはまかせてお寺様としての仕事はきっちり、というタイプですので、違いの大きさに戸惑いがあったのも事実。
葬儀社に手を出させないぞという態度がかたくなにうつりました。遺族が頼んだ業者だという観点をもって尊重していただけたらありがたかったのですが。。
宗旨替えは私も考えましたが、それをするには今のお寺様に次のお寺さまへの宗派替え承諾書を出していただかなくてはいけません。それはお寺様の言い値がかかります。出していただくにも根気の要る話し合いが必要。
さらに新しいお寺への檀家入りにまとまった寄付金が。
そして今のお墓を返す儀式、新しい墓地の手配。
精神的にも金銭的にも担えそうもありません。
今のお寺様も弔いのためだけの寺ではなく生きる糧となる寺運営をしている、座禅会や婦人会やお教室などいろいろやっていますからとおっしゃっていましたが、葬儀をしてみて、この上出向く気にはなれずにおります。