2012年01月05日

あのときのように

なんか、寝れない。

昨日は3時半ごろ寝付けた。

今日もそのくらいには眠くなるかなぁ。。

こんな風に毎晩眠れない日々が昔あった。

おじいちゃんが亡くなって1年。

おばあちゃんが寂しがるので休みのたびに夫は赴任先の埼玉から帰郷していた。

次の異動で静岡に転勤が決まったとき、

「先に帰っててほしい。ばあちゃん独りだともうらしいから。」と

夫に言われて。

3歳と7歳の息子を連れてわたしだけおばあちゃんのうちに引っ越した。

夫は単身赴任で静岡に。結婚して初めての別居だった。

きっと、喜ぶからと夫に背中を押されての同居だったけど、

入ってみたら、おばあちゃんが同居してほしいのは自分の息子であって私たちじゃないんだなぁと実感した。

一挙手一投足なにもかもが気に障る様子で、神経をすり減らした。

色つきのリップクリームさえ、口を赤くしてお出かけかい、と買い物に出ている時間を計られた。

2時間を過ぎると「東京までお出かけかと思ったわ。」といやみを言われるので

自転車をしゃかりきにこいで、スーパーの中を走るように買い物をして帰ったものだった。

子供の階段を下りる音ひとつも、うるさくて神経に障る頭が痛くなると毎日言われていた。

育ち盛りの男の子達なのに

子供たちにはいつも「しぃ~~。」と唇に手を当てて爪先立ちで歩くよう言い聞かせていたりした。

夫の帰ってくる週末だけが待ち遠しくて子供を寝かしつけた後布団の中でめそめそばかりしていた。

眠れないまま朝飯を準備する時間になる日が何度もあった。

当時の私へのおばあちゃんの口癖は「馬鹿じゃねぇか。」だった。

ときにわけもわからずはき捨てるような強いなじりを受けたりすると体が固まった。

おばあちゃんの不快感は、夫と年の離れた嫁である私の「若さ」を憎まれていたのだとわかったのはずっと後になってから。

そんな同居だったせいか、食べてもどんどんやせて40キロをきるまでになった。

それまでの服がみんなぶかぶかになってしまって、帰宅した夫が服を買いにつれて出てくれたりした。

まだ若くやせてたから、何でもそれなりに似合った。

それがいけなかった。「子持ちがしゃれこいて。」とますます不評を買った。

のちに私が中年になって太っておばさんっぽくなってきたら「お前も私とおんなじだ。」とようやく風当たりが和らいだ。

ああ、そういうことだったのかと気がつき、

おばあちゃんのご機嫌がよくなるなら、いくらでもおばさんになろうと思った。

あのころは、夫が帰宅する日が支えだった。

今、また眠れないのは、あの頃のトラウマか。

夫はもう帰ってこない。

でもおばあちゃんは、もうあの頃のような意地悪はしない。

認知症のせいもあって、甘えてくるし比較的穏やかだ。

施設にお願いしているのだし、顔を見るのは面会という形なのだから毎日そばにいるわけでもいない。

なのに。

わたしは、何を苦しんでいるのだろう。

独りでおばあちゃんをみて行くことが、重くのしかかっているのか。

克服してきたはずのことが、なぜこんなに自分の中でぶり返してくるのだろう。

PTSDは、その状況下で順応できていても、受けたストレスから開放された後でじわじわと現れるという。

蓋をするのではなく、沸いてくるこういう負の感情と向き合わないと、私は前に進めないんだろうなぁ。。

甘ちゃんのままじゃ、だめさ、のんたん。

ワインでも飲んじゃうかなぁ。。寝なきゃ。








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Posted by のんたん  at 03:00 │日記

この記事へのコメント
のんたんさん、眠れましたか。
いつも、たくさんの事、教えて貰っています。
お酒の力、私も借りてますよ。
だからか、反対にストレス太りしています。「プシュッ」として、「ゴクコク、モグモグ」です。
のんたんさんの講座をいつか、受講したい。高速飛ばして!行きますよ。
Posted by なづな at 2012年01月05日 07:15
強いおばあちゃんだったんですね。
いろいろな切ない出来事が走馬灯のように頭の中を駆け巡れば、そんなに早くは寝れませんよね。

今のんたんさんはお父さんや御主人との別れである種のショック状態にあると思います。
寝れない日が続くようでしたら、心療内科へ行って、眠剤や坑鬱剤を処方してもらうのも、一つの選択肢だと思います。

8484はうつ病で6年間暗い日々を過ごしました。
これらの薬で何とか生きて来れました。
ストレス源を絶ち切れば、鬱から生還できます。
Posted by 8484 at 2012年01月05日 08:13
こんなアドバイスは、もしかすると、おせっかいかなのかも知れませんが・・・

たくさんの辛い言葉や振舞いが、心のひだに埋もれ込んでしまっているようですね。
でも、今思い起こす過去は既に過ぎ去った出来事なのですよ。
お姑さんとの過去の不愉快なことをいつまでも持っていても先に進めないように思います。


負の感情と向き合い対立するより、負の感情は捨ててしまいませんか?

その古く、もう役に立たない心の荷物をかついでいる限り、これから起る新しい出来事や喜びをつかまえることができないようにも思います。

現在は、お姑さんからの意地悪もないとのこと。
過去の出来事が今も同じように連続している状態でもないようですから、その過去に”感謝して捨てる”決心をされたらいかがでしょうか。
それらの過去にも、あなたの人生にはプラスになる教訓とか学びが何かしらあるはずです。
それらは、お姑さんからの”いただけたもの”のだと思います。

”捨てる”というのは、出来事をなかったことにしたり、忘れることではありません。
出来事は忘れられません。
そこに抱いていた”負の感情”を捨てるという意味です。

そうすれば、過去の出来事を思い出しても、それを客観的にとらえられるようになるのではないでしょうか。


あなたの御子息たちが、いずれ、あなたのもとへお嫁さんを連れてくる日が来るでしょう。
あなたにも可愛い孫ができて、新しい家族とともに生活する時が来ると思います。
そのとき、あなたがその出来事から得られた教訓や学びが、きっと活かされるはずです。

感情が取り除かれているからこそ、過去の出来事を思い出して、”私はこうしよう、息子のお嫁さんにはこうしてあげよう”と自分に向かって言ってあげられるのだと思います。

負の感情を持ったままだと、私だってこうされたんだから・・・と自分の気持ちが晴れないとき、自分の行為を正当化して意地悪をしてしまうことにもつながるのだと思います。

今のあなたなら、そんなお姑さんと同じ振舞いは、きっとイヤですよね。

だから、負の感情と向き合い対立するより、負の感情は、”ありがとう”と言って、捨ててしまいませんか?


あなたのお母さんでよかった、といつの日かお嫁さんに思ってもらえる、素敵なお姑さんとなるあなたのために。。。
Posted by たいかん at 2012年01月05日 13:31
なづなさん


「プシュッ」として、「ゴクコク、モグモグ」

うふふ。そうですね。そうしましょう。
ありがとうございます。

講座に?うれしいなぁ。なづなさんを前にしたらあがってしまうかもw。


でも、いつかおいきあいしたい。
ほんとにそう思います。
ありがとです。。。
Posted by のんたんのんたん at 2012年01月05日 21:34
8484さん

なんだかねぇ、今更なんなんでしょう。
走馬灯のように、というお言葉ああ、本当にそうだなぁとおもいます。
克服済みと思っていたことが実は蓋をしていた、だけだったのかなぁ。
いやになっちゃいます。
あんまりこんなネガティブが続くようなら、カウンセリングも考えたほうがいいですねぇ。。
ありがとうございます。
Posted by のんたんのんたん at 2012年01月05日 21:38
たいかんさん

おっしゃるとおりですねぇ。
頭ではわかっているのです。
理性の中ではとうに解決済みの過去であり。

だからこそ、自ら望んで選んだ義弟夫婦との同居に破綻したおばあちゃんを、再び我が家に受け入れられた。

大丈夫、昔は昔、と思えた。つもりでした。

いい子のわたしがそうできた一方で。へたれの私は

「なんで?またあの生活に戻るの?なんでまたうちなの?」とおびえた。

いい子のわたしはそういう自分の中に起きる負の感情をねじ伏せて

「いい嫁」であることを選んだ。

くすぶり続けた思いが身の底で澱となっていたのでしょう。

恥ずかしげもなく吐き出し書きをしたのは、

そういう負の自分を認めてあげないと、自分の精神が分裂を起こしそうな気がしたからです。

ここに来たばっかりに、こんな文章に付き合わされるご迷惑をお許しください。

だだをこねる自分の中の「過去に囚われ幽霊」を成仏させていきたいと思います。
Posted by のんたんのんたん at 2012年01月05日 21:55
はじめまして。
のんたんさんのこのブログを読み、私の母親(60代)の苦労を重ねて思い起こし、思わずコメントを・・・。

同居していた祖母が亡くなった時、母は40台半ばでしたので同居期間は17年程でしたが、嫁に来た当初から何かと気苦労は絶えなかったようです。
私の祖母も晩年は認知症を患い、そして寝たきりの状態でした。
生真面目な母は、今までされた意地悪も顧みず、食事から下の世話まで付きっきりで甲斐甲斐しく世話をし、最期まで自宅で看取りました。もう20年以上も前のことですが。

父も、母を庇ったり苦労をねぎらったりするような人ではないのに加え、近くに住む父のきょうだい達もこれまた非常識な小姑達ばかりなので、姑が亡くなってからも憂鬱の種はなくなることなく、まるで苦労しに嫁にきたようなものです。うつ病にもなり、今でも薬を飲み続けています。
いい嫁であるために、骨折り損のくたびれもうけな母であります。でも性分だからどうしようもないってところもありますが。私が同じ立場だったら鬼嫁なっちゃうかも(苦笑)

私は祖母が亡くなった当時まだ小学校高学年だったのでその時の母の苦労や哀しみや悔しさを理解するにはまだ幼かったのですが。
理解できるようになった今の私に母は、祖母が亡くなってもう20年以上も経ってるのですが、昔の苦労話、恨み辛みを何度も何度もしてきます。それもう100回くらい聞いてるし!ってくらいに。
でも母はそうやって私に吐き出すことで、心底に消えずに残っている澱みを何年もかけて薄めているようです。憂さ晴らしというか。それで母の精神が少しでも鎮まるならば、と私も母の憂さ晴らしに喜んで付き合っております。


はじめてなのに長々とすみません・・・。
のんたんさんも、吐き出せるものはなるべく吐き出して、少しでもお気持ちが軽くなられますようにと願っています。
Posted by kumiko at 2012年01月06日 23:40
kumikoさん

はじめまして。コメントありがとうございます。
夫の母だと思うから、夫には言えなかった悲しい出来事の数々を、きっとお母様も自分の中に閉じ込めて過ごされてきたのでしょうねぇ。。

今、聞いてくれるあなたを得て、ようやく自分を解放しているのかもしれませんね。
繰り返し聞く、という作業は、気力の要ることだと思います。
なによりの親孝行だと思います。
身内が理解してくれる、ということが何よりの慰めになるのだと思いますし。

わたしも同居してからおばあちゃんの自分の親への恨み言を、kumikoさんのおっしゃるとおり100回くらい(笑)聞き役をしました。
長女だったので早くに奉公に出され自分だけ高校にいけなかったこと、気がつけば弟妹はみんな進学していて恋愛もしていて、自分だけが貧乏くじだったと嘆いていました。

・・ああ。・・・。そうか。
ということは、おばあちゃんも、吐き出せなかった思いが「おばあちゃん」になってから噴出したってことですよねぇ。。。
子供はみんな男の子。聞き役は得られてこなかったってことか。。
親には直接、言えなかったんでしょう、なんで私だけ、とは。

溜める、ということはいけませんね。。。

よし。

いまのうちにガスは小出しに抜いておなかすっきりの老後を目指したいと思います。

ありがとうございます。お返事書いているうちに、気づきをいただきました。
Posted by のんたんのんたん at 2012年01月07日 00:45