2012年02月07日
おばあちゃんのなかで生きている人たち
介護認定の更新期が近づき市役所で手続き。
帰りにおばあちゃんのところに。
今日は、わたしだと認識してくれたようで普通に話せた。
日によってまったくよそ様のままで面会を終える日もある。
「ヒロはえらい目にあったなぁ。」というのでちょっとどきっとした。
「なんで?」と聞くと
「転んだかなんかで腰痛いって。」
ああ。。。昨年告知を受ける前の面会の時の会話の続きだ。
夫が最後の面会で「腰が痛くてようこれんが、げんきにしとれよ。」と言い置いていったのだ。
「ほんとにね、腰は時間がかかるで。ばあちゃんも養生してなぁ。」と会話をしのぐ。
「ババはマメでおるかい。」
ん?どのババ?
「おらぁえのばばさ。」
ああ、タケばあちゃかね。
タケばあちゃは、おばあちゃんの母親だ。
40年がとこ昔に他界している。
「マメでおるよぉ。あそこは孫娘が3人もおるで手はたりてるで、あんじょうないわ。」
「ほうか、そりゃあよかったわ。まんま食べれなきゃもうらしいで。」
その昔、タケばあちゃが入院していたとき、子供らが交代で付き添いをし、おばあちゃんは弁当をこしらえては届けた記憶が鮮明なのだろう。
認知症が進む前に、その話を何度もしていた。
昔の親子関係は、子供の数が多かったこともあってそっけないものだったようだ。
母親に感謝された日々はおばあちゃんの記憶の中でも大きなウェイトを占めているのだろう。
おばあちゃんの中では、夫も母親も早逝した妹弟も、生きている。
要らない記憶を消しながら、穏やかに生きていければそれも幸せなんだと思ったりした。
帰りにおばあちゃんのところに。
今日は、わたしだと認識してくれたようで普通に話せた。
日によってまったくよそ様のままで面会を終える日もある。
「ヒロはえらい目にあったなぁ。」というのでちょっとどきっとした。
「なんで?」と聞くと
「転んだかなんかで腰痛いって。」
ああ。。。昨年告知を受ける前の面会の時の会話の続きだ。
夫が最後の面会で「腰が痛くてようこれんが、げんきにしとれよ。」と言い置いていったのだ。
「ほんとにね、腰は時間がかかるで。ばあちゃんも養生してなぁ。」と会話をしのぐ。
「ババはマメでおるかい。」
ん?どのババ?
「おらぁえのばばさ。」
ああ、タケばあちゃかね。
タケばあちゃは、おばあちゃんの母親だ。
40年がとこ昔に他界している。
「マメでおるよぉ。あそこは孫娘が3人もおるで手はたりてるで、あんじょうないわ。」
「ほうか、そりゃあよかったわ。まんま食べれなきゃもうらしいで。」
その昔、タケばあちゃが入院していたとき、子供らが交代で付き添いをし、おばあちゃんは弁当をこしらえては届けた記憶が鮮明なのだろう。
認知症が進む前に、その話を何度もしていた。
昔の親子関係は、子供の数が多かったこともあってそっけないものだったようだ。
母親に感謝された日々はおばあちゃんの記憶の中でも大きなウェイトを占めているのだろう。
おばあちゃんの中では、夫も母親も早逝した妹弟も、生きている。
要らない記憶を消しながら、穏やかに生きていければそれも幸せなんだと思ったりした。
Posted by のんたん
at 17:24
│日記
さらに土地の寒さもあり、からだにも堪えますよね。
いろいろなことがあるけど、暖かい日が一日も早く訪れて、寒さからの身体の緊張がまずは取れるといいなあ、と願っています。
幸せってなんだっけ、なんだっけ。。。
そう自分に問う度に、いつも答えが違っています。。。
今の私では車いす生活になったおばあちゃんのトイレや入浴の介助は担えません。
体重のあるおばあちゃんを、腰がきかなくてもう持ち上げられない。
施設のありがたさを実感します。
それでも出してもらったお茶を熱がるのでさまして渡すと、昔の戻ったような気持ちがしました。
首筋が寒そうだとか靴下の短さが気になったり。
面会に行くまでがプレッシャー。行ってしまえば大丈夫なんだけど、気持ちをむかせるのに気力が要ります。
幸せって問うたびに答えがちがうものかもしれませんね。