2014年04月17日
忘れてよかった
おばあちゃんの認知症は、きっと神様の情け。
未だに内臓の病気はなにもない、ご飯もおいしい、健康体のおばあちゃんが、
記憶の脳だけが早々とすっかり壊れていった。
彼女のノートには、「死んでも絶対忘れない!」と
我が家に来るまでの過去の人間関係の恨みつらみの殴り書きが多々残っている。
気の強さは、彼女を支えてはきたけれど、反面、独尊が人間関係の衝突を呼びやすく
彼女の心を荒ませていたのだろう。
うれしかったこと、ありがたかったこと、の記載というものがない。
もし、喜びや感謝を、相手に対して言葉や文字に表すことができていたら
兄妹も子も多かった人生、たらいまわしの末にすでに亡き三男の嫁のわたしに流れ着くことはなかったかもしれない。
でも、認知症を得た今、
「死んでも忘れない」うらみつらみは、全部、消え失せた。
「あんがと」「あんがと」と笑うおばあちゃんになった。
きっと、これが本来の彼女なんだろうと思う。
育ってきた環境、生きてきた環境が、彼女を「なめられてたまるか!」のおこんじょに形成したのだろう。
病を得て、彼女は、ピュアな自分に帰ったのだ、きっと。
忘れて、よかった。
もし全部覚えていたまま、この10年を過ごしていたら
彼女の心は、別の形で壊れていただろう。
神様の采配、かもしれないが、人の体は自身の精神を守るための方策を発動する。
彼女は自分自身で、自分を浄化したのかもしれない。
だって認知症になっても、負の感情だけ残る人もいるのだもの。
きっと、彼女の今発する「あんがと」は、安堵の言葉なんだろう。
未だに内臓の病気はなにもない、ご飯もおいしい、健康体のおばあちゃんが、
記憶の脳だけが早々とすっかり壊れていった。
彼女のノートには、「死んでも絶対忘れない!」と
我が家に来るまでの過去の人間関係の恨みつらみの殴り書きが多々残っている。
気の強さは、彼女を支えてはきたけれど、反面、独尊が人間関係の衝突を呼びやすく
彼女の心を荒ませていたのだろう。
うれしかったこと、ありがたかったこと、の記載というものがない。
もし、喜びや感謝を、相手に対して言葉や文字に表すことができていたら
兄妹も子も多かった人生、たらいまわしの末にすでに亡き三男の嫁のわたしに流れ着くことはなかったかもしれない。
でも、認知症を得た今、
「死んでも忘れない」うらみつらみは、全部、消え失せた。
「あんがと」「あんがと」と笑うおばあちゃんになった。
きっと、これが本来の彼女なんだろうと思う。
育ってきた環境、生きてきた環境が、彼女を「なめられてたまるか!」のおこんじょに形成したのだろう。
病を得て、彼女は、ピュアな自分に帰ったのだ、きっと。
忘れて、よかった。
もし全部覚えていたまま、この10年を過ごしていたら
彼女の心は、別の形で壊れていただろう。
神様の采配、かもしれないが、人の体は自身の精神を守るための方策を発動する。
彼女は自分自身で、自分を浄化したのかもしれない。
だって認知症になっても、負の感情だけ残る人もいるのだもの。
きっと、彼女の今発する「あんがと」は、安堵の言葉なんだろう。
2014年01月16日
退院
おばあちゃん、やっと退院。
朝、車いす持参でマイカーでお迎え。
4年前、車を買い替えるとき、おばあちゃんが載りやすいよう、スライドドア仕様にしてくれたのは亡き夫。
ありがとねぇ。
とはいえ、わたし一人ではどうにも抱えられず、
スタッフ3人がかりで車に乗せてくださった。
手を振ってお見送りをしてくださった。
寒いところ、ありがとうございました。
退院手続きに1時間半くらいかかり、11時過ぎ、グループホームに到着。
載せる時は3人がかりだったけど、グルプホームには力自慢な男性スタッフがちょうど日勤。
ひょいっと抱えておろしてくださった。ありがたや。
ようやく古巣に帰れて、日の当たるサンルームに座ると、ほっとした顔ですぐにうとうと。
病院は温かいけど、日の光は入らないからか、不穏も何度か出ていた。やっぱりお日様効果って大きいなぁ。
食事は自食ができるけど、かきこみ食べの癖が改善できないので、むせやすく。
入院中に、きざみがもう一段階細かい、細きざみとろみ食に変更になっている。
病院からの指示書をお渡しし、着替えを整理して退出。
毎日病院に洗濯物を届ける日々もこれでいったん終了。
さて午後からはまた録音室。
ちょっと、疲れた。
なんかうとうとしたいなぁ、おばあちゃんじゃないけど、お日様を足に浴びて明るいところで。
家にもそういう場所があるといいんだけど。
朝、車いす持参でマイカーでお迎え。
4年前、車を買い替えるとき、おばあちゃんが載りやすいよう、スライドドア仕様にしてくれたのは亡き夫。
ありがとねぇ。
とはいえ、わたし一人ではどうにも抱えられず、
スタッフ3人がかりで車に乗せてくださった。
手を振ってお見送りをしてくださった。
寒いところ、ありがとうございました。
退院手続きに1時間半くらいかかり、11時過ぎ、グループホームに到着。
載せる時は3人がかりだったけど、グルプホームには力自慢な男性スタッフがちょうど日勤。
ひょいっと抱えておろしてくださった。ありがたや。
ようやく古巣に帰れて、日の当たるサンルームに座ると、ほっとした顔ですぐにうとうと。
病院は温かいけど、日の光は入らないからか、不穏も何度か出ていた。やっぱりお日様効果って大きいなぁ。
食事は自食ができるけど、かきこみ食べの癖が改善できないので、むせやすく。
入院中に、きざみがもう一段階細かい、細きざみとろみ食に変更になっている。
病院からの指示書をお渡しし、着替えを整理して退出。
毎日病院に洗濯物を届ける日々もこれでいったん終了。
さて午後からはまた録音室。
ちょっと、疲れた。
なんかうとうとしたいなぁ、おばあちゃんじゃないけど、お日様を足に浴びて明るいところで。
家にもそういう場所があるといいんだけど。
2013年12月30日
点滴いやいや
咳が抜けずに年の瀬を迎えてしまったおばあちゃん。
熱はないけど、ぜろぜろがひどいので、レントゲン&CT。
結果、胸にお水がたまってて肺炎確定。
入院となった。
グループホームは、入院措置決定と同時に、一切の手を引く。
それが取り決め。
鎮静のお薬と成分が重なるので、処方されている気分を落ち着ける安定剤をおろぬいている。
さあ、まずは処置室で抗生物質の点滴のはじまり。
もちろん、いやいや音頭が始まってミトンも、ぽいっ。
点滴入れた手もぶんぶん。
お咳でるからお薬いれてるんだよ、ちょっとだけがまんしようよ、とゆっくり話すと、「そうか、そういうもんか。」
と瞬間納得、1分後には、記憶が消えるので、また、なんでこんなもんがと始まっての繰り返し。
病棟に移動したものの再度のミトンに悪口雑言、声が大きい分、人聞きが悪いが、スタッフはなれたもの。
でも当然漏れて、差し直し。看護師さんと3人がかりで気をそらし、3回目には
「すみません。廊下でお待ちください。」と外に出された。
家族を外に出すときは、ちょっと荒業処置になるとき。
3回目には、足に入れることで決着。
お待ちかねの夕飯は、とろみと嚥下観察のためリハビリ担当のほがらかなお兄さんの介助摂取。
少し気を取り直し機嫌よく数口食べてくれた。
あんまりにも入院適応が無理なら、ご連絡しますので・・・と婦長さん。
はい;もちろんです、すみません;と頭を下げつつも。
なにはともあれ、こんなに元気、そこがありがたい。ヤンチャな様子に、つい笑ってしまう。
ばあちゃんってもんど。w
不謹慎だが、「懐かしい」という感覚が最初に来た。
在宅介護の時代、そうそう、こうやって格闘していたんだよなぁ。。
あの頃は、安定剤も使ってなかったし、まだ歩き回れたから、玄関の音がするたびに飛び起きて、
待って待ってと追っかけっこしてたっけ。
年末年始のこの時期でよかった。
神様の采配? おかげですぐ飛んでいけたし。
夜は完全看護なのでつかなくていいって。
そっか、わたしは家で寝れるんだ。ありがたや。
おなかすいたよん。呼び出しは、煮物の途中だった。大根の芯が残ってるかもぅ(--;)
熱はないけど、ぜろぜろがひどいので、レントゲン&CT。
結果、胸にお水がたまってて肺炎確定。
入院となった。
グループホームは、入院措置決定と同時に、一切の手を引く。
それが取り決め。
鎮静のお薬と成分が重なるので、処方されている気分を落ち着ける安定剤をおろぬいている。
さあ、まずは処置室で抗生物質の点滴のはじまり。
もちろん、いやいや音頭が始まってミトンも、ぽいっ。
点滴入れた手もぶんぶん。
お咳でるからお薬いれてるんだよ、ちょっとだけがまんしようよ、とゆっくり話すと、「そうか、そういうもんか。」
と瞬間納得、1分後には、記憶が消えるので、また、なんでこんなもんがと始まっての繰り返し。
病棟に移動したものの再度のミトンに悪口雑言、声が大きい分、人聞きが悪いが、スタッフはなれたもの。
でも当然漏れて、差し直し。看護師さんと3人がかりで気をそらし、3回目には
「すみません。廊下でお待ちください。」と外に出された。
家族を外に出すときは、ちょっと荒業処置になるとき。
3回目には、足に入れることで決着。
お待ちかねの夕飯は、とろみと嚥下観察のためリハビリ担当のほがらかなお兄さんの介助摂取。
少し気を取り直し機嫌よく数口食べてくれた。
あんまりにも入院適応が無理なら、ご連絡しますので・・・と婦長さん。
はい;もちろんです、すみません;と頭を下げつつも。
なにはともあれ、こんなに元気、そこがありがたい。ヤンチャな様子に、つい笑ってしまう。
ばあちゃんってもんど。w
不謹慎だが、「懐かしい」という感覚が最初に来た。
在宅介護の時代、そうそう、こうやって格闘していたんだよなぁ。。
あの頃は、安定剤も使ってなかったし、まだ歩き回れたから、玄関の音がするたびに飛び起きて、
待って待ってと追っかけっこしてたっけ。
年末年始のこの時期でよかった。
神様の采配? おかげですぐ飛んでいけたし。
夜は完全看護なのでつかなくていいって。
そっか、わたしは家で寝れるんだ。ありがたや。
おなかすいたよん。呼び出しは、煮物の途中だった。大根の芯が残ってるかもぅ(--;)
2013年11月12日
そば粉シェイクのプラセボ効果
農協や道の駅には袋詰めのそば粉が並ぶ。いまじぶんは、「新蕎麦」シールがついている。
以前は、この時期にそば粉を買い求め、冷凍庫に常備していた。
おばあちゃん(姑)の常備薬だった。
体調が悪いと、「そば粉かいておくれや。」とよく言われたものだ。
生のそば粉を冷水で練り、氷を入れてさらにかくはんし、お抹茶のようなドロドロにして飲み干すのだ。
飲み干すと、「ああ、これでだいじょうぶ。」と、安堵のため息をついた。
おばあちゃんは6人兄弟の長女。乗鞍の山育ち。
下の弟妹とは10歳近く間がある。その間に、てて親が、肺患いをしていたらしい。
もう大きくなってから次々と弟妹が生まれ、「子守りに忙しくて、ろくにがっこ、いかしてもらえなんだ。」と述懐していた。
山の生活は、斜面に農作物を作っていたが、米は作れず。もっぱら悪天候にも強い蕎麦を作っていたという。
自身が育つ幼少期は、父の肺病み、大きくなったら、弟妹の世話で、母親からの愛情や手をかけた世話とは無縁であったろう。
その彼女にとって、そば粉のドロドロは、数少ない「母の愛薬」であったようだ。
普段は、そっけなく手をかけてもらえなくても
熱を出したり、寝込んだとき、母親は優しい。
手近にあるそば粉を、おかゆがわりに、あるいは水分補給水がわりに
わき水で溶いて飲ませてくれていたのだろう。
「おかあちゃんが、わたいを、かまってくれてる。」
その喜びは、大いなる偽薬効果となったはず。【偽薬(プラセボ効果)とは】
そば粉=万能薬 の刷り込みがしっかりとおばあちゃんの中に根付いた。
亡き夫も、この母親のそば粉信仰を受け継いで、そば粉飲みを大事にしていた。
さすがに、わたしには、その信仰の伝染は持てなかったが、
たしかに体にはいいのだろうとせっせと買い求めていた。
店の棚に並ぶ、そば粉を目にするたび、
あ、買わなきゃ、と瞬間思っては、
いや。もう要らないんだった、と伸ばしかけた手を、行き場をほかにごまかして要らない乾物を手に取り戻したりしている。
以前は、この時期にそば粉を買い求め、冷凍庫に常備していた。
おばあちゃん(姑)の常備薬だった。
体調が悪いと、「そば粉かいておくれや。」とよく言われたものだ。
生のそば粉を冷水で練り、氷を入れてさらにかくはんし、お抹茶のようなドロドロにして飲み干すのだ。
飲み干すと、「ああ、これでだいじょうぶ。」と、安堵のため息をついた。
おばあちゃんは6人兄弟の長女。乗鞍の山育ち。
下の弟妹とは10歳近く間がある。その間に、てて親が、肺患いをしていたらしい。
もう大きくなってから次々と弟妹が生まれ、「子守りに忙しくて、ろくにがっこ、いかしてもらえなんだ。」と述懐していた。
山の生活は、斜面に農作物を作っていたが、米は作れず。もっぱら悪天候にも強い蕎麦を作っていたという。
自身が育つ幼少期は、父の肺病み、大きくなったら、弟妹の世話で、母親からの愛情や手をかけた世話とは無縁であったろう。
その彼女にとって、そば粉のドロドロは、数少ない「母の愛薬」であったようだ。
普段は、そっけなく手をかけてもらえなくても
熱を出したり、寝込んだとき、母親は優しい。
手近にあるそば粉を、おかゆがわりに、あるいは水分補給水がわりに
わき水で溶いて飲ませてくれていたのだろう。
「おかあちゃんが、わたいを、かまってくれてる。」
その喜びは、大いなる偽薬効果となったはず。【偽薬(プラセボ効果)とは】
そば粉=万能薬 の刷り込みがしっかりとおばあちゃんの中に根付いた。
亡き夫も、この母親のそば粉信仰を受け継いで、そば粉飲みを大事にしていた。
さすがに、わたしには、その信仰の伝染は持てなかったが、
たしかに体にはいいのだろうとせっせと買い求めていた。
店の棚に並ぶ、そば粉を目にするたび、
あ、買わなきゃ、と瞬間思っては、
いや。もう要らないんだった、と伸ばしかけた手を、行き場をほかにごまかして要らない乾物を手に取り戻したりしている。
2013年11月05日
やぶく楽しさ

おばあちゃんの担当さんからお電話。
掛布団のカバー、中央がレースタイプのものを持っていってあるんだけど
その、「あみあみ」部分に指を入れて破いて遊んでしまうので
ぼろぼろになって在庫全滅とのこと。
「すみませんが、飾りのない布だけのカバーを。」
なるほど。
わかるわぁ。あのあみあみの穴に、指をつっくんできゅーっとひいたら、ぷちぷちっと切れていく。
楽しくなっちゃうよね。
びりびりびり~、裂けていく音、感触。
わくわくしちゃうよね。
でも、そのたび取り替えてくれる施設の人も大変。
ごめんな、おばあちゃん。
破けないカバーに、取り替えに行くね。
かんにんね。
2013年10月03日
同行援護従業者になったどー

修了証が届いた。
同行援護従業者とは、視覚障害に特化した外出時における視覚情報の提供と移動支援を担う。
視覚障害の情報保障活動をしているわたしたちには、必要なスキルだと判断。
資格取得を今年前半の目標にしていた。
この研修を受けるには介護福祉士または介護職員初任者資格が必要だったので、
3月からその資格研修に通い、認定日ぎりぎりで今年のこの同行援護従業者研修の申し込みに間に合った。
定員30名、受講番号30番。
現行介護事業従事者優先枠の講座なので、その仕事に従事していない私は、定員を超えれば受けられない。
ラッキーにも受講することができ。
そして真夏のひと月、諏訪で研修を受け、その後終了テストを郵送、
やっと昨日、修了証明書が届いた。
神様、どの行程もぎりぎりなところで、わたしを学びの場においてくださり、ありがとうございました。
おかげさまです。
介護全般を学んだあとに同行援護を学べたことは、大きな収穫でした。
合掌。