2013年10月01日
施設の選び方
父は83歳まで生きたが、晩年を有料老人ホームで過ごした。
いろんなところを探したが、父が気に入ったのは、「S」という老人マンションと介護施設の併設型。
ここは、すべての職員が「敬語」。
ホテルスタッフのように、一律の制服をまとい、お辞儀にも言葉にも、お世話にも「敬い」があった。
居室に入るときも、人の家に訪ねるときのように、ノックして返事を待ち入室していいか伺い、一礼してお邪魔します、と入ってくる。
それは、身体不自由な方にも、認知症の方にも変わりない対応だった。
父は、この施設スタンスが気に入り、実家を売ってここに移り住んだ。
自宅にいるころ、ディサービスのお試しにいって憤慨して帰って来たご仁である。
「歌だ、お遊戯だちーぱっぱ、と幼稚園のようなことをさせる。幼児に話しかけるような物言いをされ、馬鹿にするにもほどがある。」
彼にとっての「介護」とは、「していただく」ものではなく、当然の権利として受ける「サービス」という認識だった。
かたや、わたしのお姑さんがお世話になっている認知症のグループホームは、真逆である。
入所の老人たちは、すべからく「幼児のごとく」対応されている。
ジャージにエプロンをした職員さんたちは、タメ口というか、ちょうど三歳児に話しかける大人のような言葉づかいで
親しみを込めて「かわいがる」ように、時に「叱る」ように言葉と態度を使う。
「えらいじゃん、きれいに食べたねぇ。」と、頭をいいこいいこする。
「今日は、ごきげんいいじゃん~。」とほっぺを両手で挟んでむぎゅむぎゅする。
「だめだってゆったじゃん、おとなしく座ってり」と子供を叱るように「めっ」とする。
最初、これを見たときは、父の施設での対応になれていた私は、ものすごく違和感があって、気持ちがざわついた。
特に、年長者の頭をくしゃくしゃとなでる、という行為は、その人の「尊厳」を真っ向否定するものに見えた。
父であったら、怒髪天を貫いて激怒、そこになおれ!成敗してくれるわ、ふざけるな、俺は出て行く、と叫んだであろう所業だ。
だが、お姑さんは、ほっぺをおされて、えへへっと喜び、褒められてにこにこと自慢げな顔をする。
赤子扱いされることを、心地よく受け入れていた。
お姑さんの様子から、「ああ、彼女には、この対応が有効なんだ。」と納得をした。
人はそれぞれ、欲しい対応が違うのだ。
もし、彼女が、父のいたような施設に入ったら、不幸だったかもしれない。
「他人行儀にされてる」とさみしがったかも。
もちろん、ここのすべての入所者がお姑さんと同じ感覚とは限らない。
ため息まじりにあきらめ顔で、静かにされるがままにいる老婦人を見ると、内心が気になったりもする。
「ほかに、いくところがないのですから、わたしは。辛抱辛抱」と、
聞こえるかどうかのささやきでわたしの視線にわずかに笑って見せたお顔は
認知症のそれではなかったようにも感じたり。
超高齢化社会が来る。
目の前に来ている。
終の棲家に施設を選ぶとき、自分の感覚に合っているか否かは、とても重要だ。
施設のハード面よりも、その施設のスタンスに重きを置いて、考えなければならないと、痛感している。
いろんなところを探したが、父が気に入ったのは、「S」という老人マンションと介護施設の併設型。
ここは、すべての職員が「敬語」。
ホテルスタッフのように、一律の制服をまとい、お辞儀にも言葉にも、お世話にも「敬い」があった。
居室に入るときも、人の家に訪ねるときのように、ノックして返事を待ち入室していいか伺い、一礼してお邪魔します、と入ってくる。
それは、身体不自由な方にも、認知症の方にも変わりない対応だった。
父は、この施設スタンスが気に入り、実家を売ってここに移り住んだ。
自宅にいるころ、ディサービスのお試しにいって憤慨して帰って来たご仁である。
「歌だ、お遊戯だちーぱっぱ、と幼稚園のようなことをさせる。幼児に話しかけるような物言いをされ、馬鹿にするにもほどがある。」
彼にとっての「介護」とは、「していただく」ものではなく、当然の権利として受ける「サービス」という認識だった。
かたや、わたしのお姑さんがお世話になっている認知症のグループホームは、真逆である。
入所の老人たちは、すべからく「幼児のごとく」対応されている。
ジャージにエプロンをした職員さんたちは、タメ口というか、ちょうど三歳児に話しかける大人のような言葉づかいで
親しみを込めて「かわいがる」ように、時に「叱る」ように言葉と態度を使う。
「えらいじゃん、きれいに食べたねぇ。」と、頭をいいこいいこする。
「今日は、ごきげんいいじゃん~。」とほっぺを両手で挟んでむぎゅむぎゅする。
「だめだってゆったじゃん、おとなしく座ってり」と子供を叱るように「めっ」とする。
最初、これを見たときは、父の施設での対応になれていた私は、ものすごく違和感があって、気持ちがざわついた。
特に、年長者の頭をくしゃくしゃとなでる、という行為は、その人の「尊厳」を真っ向否定するものに見えた。
父であったら、怒髪天を貫いて激怒、そこになおれ!成敗してくれるわ、ふざけるな、俺は出て行く、と叫んだであろう所業だ。
だが、お姑さんは、ほっぺをおされて、えへへっと喜び、褒められてにこにこと自慢げな顔をする。
赤子扱いされることを、心地よく受け入れていた。
お姑さんの様子から、「ああ、彼女には、この対応が有効なんだ。」と納得をした。
人はそれぞれ、欲しい対応が違うのだ。
もし、彼女が、父のいたような施設に入ったら、不幸だったかもしれない。
「他人行儀にされてる」とさみしがったかも。
もちろん、ここのすべての入所者がお姑さんと同じ感覚とは限らない。
ため息まじりにあきらめ顔で、静かにされるがままにいる老婦人を見ると、内心が気になったりもする。
「ほかに、いくところがないのですから、わたしは。辛抱辛抱」と、
聞こえるかどうかのささやきでわたしの視線にわずかに笑って見せたお顔は
認知症のそれではなかったようにも感じたり。
超高齢化社会が来る。
目の前に来ている。
終の棲家に施設を選ぶとき、自分の感覚に合っているか否かは、とても重要だ。
施設のハード面よりも、その施設のスタンスに重きを置いて、考えなければならないと、痛感している。
2013年09月19日
祥月命日が過ぎて
昨日は、父の祥月命日。
三回忌は、月初めに終えていたけれど、やっぱり当日はなんとも、言い難く。
気持ちがざわついて涙もろい。亡き夫は父の逝去の頃、まだ自宅療養中で、
ゆっくり泣いている暇もなく、お通夜、葬式、49日、部屋の明け渡しと、家に寝ている夫が気がかりで
気がせいて。
父の居宅であった老人マンションのゆっくり作動仕様のエレベーターの中で足踏みをしたい思いでいたっけ。
3回忌を迎えても、なお、フラッシュバックは著しく、夫と父のダブル喪失は乗り越えられていないのを実感する。
父の遺したUSBには、日々撮りためた写真が残っており。
自分が撮っているのだから、当然父自身は映っていないのだが、
その中に私を撮った一枚がある。
居宅を訪ねては、世話焼きをうるさがられていた頃の写真。

プロパティには2010年2月5日撮影と残っている。
この頃は、初期がんを克服した頃で、翌年の再発までの穏やかな日々の中にいた。
出来の悪い娘だったけど。
ちょっとだけ世間に褒められる出来事があって。
叔母が父に褒めたら「俺の娘だから当然」と答えたと、後で聴いた。
あの年は、お姑さんと父のダブル介護の真っただ中でありながら人目に触れる新規の仕事がいくつも飛び込んできた年だった。
今思えば、まるで神様が分かつ前に、夫や親からの社会的認知をもらえる機会をくれたような気がする。
どこからあんなエネルギーが沸いていたのだろう。
翌年夫が倒れて、それからすべてが停止した1年。
こうして繰り返し繰り返し、波が来ては泣き、身が震え、ハーブティーにすがり、部屋をうろつき、朝を迎え
それでも、仕事があって、ときに体温を感じあえる相手がいて、笑いあえ。
生きて行くのだ。これからも。
満月の夜に、深呼吸。今日はミントティーにお世話になりながら。
合掌。
三回忌は、月初めに終えていたけれど、やっぱり当日はなんとも、言い難く。
気持ちがざわついて涙もろい。亡き夫は父の逝去の頃、まだ自宅療養中で、
ゆっくり泣いている暇もなく、お通夜、葬式、49日、部屋の明け渡しと、家に寝ている夫が気がかりで
気がせいて。
父の居宅であった老人マンションのゆっくり作動仕様のエレベーターの中で足踏みをしたい思いでいたっけ。
3回忌を迎えても、なお、フラッシュバックは著しく、夫と父のダブル喪失は乗り越えられていないのを実感する。
父の遺したUSBには、日々撮りためた写真が残っており。
自分が撮っているのだから、当然父自身は映っていないのだが、
その中に私を撮った一枚がある。
居宅を訪ねては、世話焼きをうるさがられていた頃の写真。
プロパティには2010年2月5日撮影と残っている。
この頃は、初期がんを克服した頃で、翌年の再発までの穏やかな日々の中にいた。
出来の悪い娘だったけど。
ちょっとだけ世間に褒められる出来事があって。
叔母が父に褒めたら「俺の娘だから当然」と答えたと、後で聴いた。
あの年は、お姑さんと父のダブル介護の真っただ中でありながら人目に触れる新規の仕事がいくつも飛び込んできた年だった。
今思えば、まるで神様が分かつ前に、夫や親からの社会的認知をもらえる機会をくれたような気がする。
どこからあんなエネルギーが沸いていたのだろう。
翌年夫が倒れて、それからすべてが停止した1年。
こうして繰り返し繰り返し、波が来ては泣き、身が震え、ハーブティーにすがり、部屋をうろつき、朝を迎え
それでも、仕事があって、ときに体温を感じあえる相手がいて、笑いあえ。
生きて行くのだ。これからも。
満月の夜に、深呼吸。今日はミントティーにお世話になりながら。
合掌。
2013年08月06日
録音さん
同行援護の研修は私を除いて全員、事業所所属の介護職。または各地域の社協職員。
なので、アウェイ感満載なはずなのだが、ともに視覚障害に関わる立場、不思議と違和感もなく。
代読のあたりで、やはり読み方にその特徴が出るのか、私が読むと即、「あれ?録音さん?」と講師。
目が見えない分、耳はするどい。
「はーい、録音さんでーす。」と答えたが、へ~~、都会の当事者の方たちは、私たち音訳者を「録音さん」と呼んでいるのかぁ。
メモメモ。。(笑)
目が見えない人が講師、つまり、うなづいているだけでは反応がわからない。
手を上げるも、見えない。
その都度、声を出す、が原則と知る。
考えれば当たり前なんだけど、実際
「ねえ反応は?」「見えないんだよ?黙っててコミュニケーションとれるの?」と
講師に突っ込まれて、あ、そうでした、となる受講生。
普通の講座ではありえない、元気相槌と、はい、せんせい! それから、名乗り。
にぎやか講座になる。
こうしたことひとつひとつが気づきだなぁ。。。
「録音さん」かぁ。。。
なんか、悪くないね、その呼び名。
言い方もあるんだろうけれど、親しみを覚えた。
なので、アウェイ感満載なはずなのだが、ともに視覚障害に関わる立場、不思議と違和感もなく。
代読のあたりで、やはり読み方にその特徴が出るのか、私が読むと即、「あれ?録音さん?」と講師。
目が見えない分、耳はするどい。
「はーい、録音さんでーす。」と答えたが、へ~~、都会の当事者の方たちは、私たち音訳者を「録音さん」と呼んでいるのかぁ。
メモメモ。。(笑)
目が見えない人が講師、つまり、うなづいているだけでは反応がわからない。
手を上げるも、見えない。
その都度、声を出す、が原則と知る。
考えれば当たり前なんだけど、実際
「ねえ反応は?」「見えないんだよ?黙っててコミュニケーションとれるの?」と
講師に突っ込まれて、あ、そうでした、となる受講生。
普通の講座ではありえない、元気相槌と、はい、せんせい! それから、名乗り。
にぎやか講座になる。
こうしたことひとつひとつが気づきだなぁ。。。
「録音さん」かぁ。。。
なんか、悪くないね、その呼び名。
言い方もあるんだろうけれど、親しみを覚えた。
2013年08月04日
講師力はんぱなし

県内研修をいくつか探したが日程的に今回の諏訪会場のみ、全日程出られるので申し込んだ同行援護従業者研修。
サービス責任者の要件を満たせる応用編までのコース。
この研修に出たいがために、受講要件であるヘルパー2級を、春~初夏に飛び込みで取得。
こぎつけた、というか、やっとありつけた「受けたい」研修だけあって
気分的には、よだれをたらしてむさぼっている感の受講体制。
あと4回を残すところとなった。
当事者と実践者がテキストを作り、その著者の方々が実技の講師をしてくれるというありがたい研修。
当事者の講師は、思春期の学校事故で失明。絶望から立ち直りまでの心理、当事者の視点からお話しをしてくださり。
実習講師は、全国を飛び回って講習をしながら、実践者として月200時間を超えるガイド業務に動いている。
さぁ、しっかり覚えて行ってよ、修了したら即実践現場に立てるとこまでね!の気合で、がっつり講習をしてくださる。
お昼は全講座お弁当。へ~、手厚いなぁ♪、と呑気にかまえて参加したが、どうして。
お昼を食べるその行為そのものまでも実習だった。
アイマスクをして意地悪置きされたお弁当とお茶とお箸を探すところから。
やっとありつけても、何が入ってるかおかずがどう配置されてるかわかんないお弁当を空回りするお箸で口に運ぶ作業は
思いのほか難しく。一人なのに二人羽織をしているような感覚。
このようにあらゆることを、当事者の立場を味わいながら、研修は続く。
何が、怖い、何が心地よい、何が不満。
実感と考察とで、ガイド側に立った時の気配りを構築していく。
修了まで、貪欲に吸収していきたい。
2013年07月20日
笑ってりね

うちのおばあちゃん。ペイントで落書きしてみた。
先日の面会時に夏物を持っていったが引き出しを整理してみると、心もとないものがあり。
今日の夕方、再度、足りない着替えを買って名前を付けて持っていった。
めずらしくお昼寝ができた日で、元気がでたようでハイテンション。
といっても表情はうまく出てこない。でも、笑っているのがわかる。
ごはんがおいしい。
歌うの楽しい。
いいね。(^‐^)
天井高く空調の効いた施設内は外の暑さとは別天地。
笑ってり、ばあちゃん。
なんも、怖いことも、悲しいことも、もう、ないきね。
「きのうなぁ、ヒロを桃子んとこあずけてきたで、めんどうはない、ささ、いこな。」
立てない車椅子から、立ち上がろうとする。
ヒロは、亡くなった私の夫、おばあちゃんの息子。
桃子というんは、おばあちゃんの妹さん。
今日のおばあちゃんは、子育て中のお母さんで、
わたしと出かけるために妹に子供(私の夫)を預けてきたらしい。
嫁様が来てるで、と職員さんに声をかけてたから私が私という認識のまま、ママ友的間柄になっているらしい。
たぶん、夏の雰囲気から、お盆の頃を思い出し、実家の山(乗鞍)へ里帰りする気分なんだろう。
立とうとする足をさすりながら気をそらし、(むくみやすいのでさすると気持ちよくなり立ち上がるのを忘れてくれる)
「うん。いこなぁ。
でも、お夕飯の支度してくれてるで?悪いから食べてこなぁ。」
厨房からはいい匂いがしてきていた。
それもそうだわ。そだそだ、とうなずき、気持ちはご飯に向かった。
職員さんにお願いし、背中にそっとバイバイ。
ありがとね。いつもそうして笑ってりね。ばあちゃん。知らずとも、それが供養。
じいちゃんと、ヒロさんが安心するからね。
2013年06月06日
介護実習を終えて
午前中は狭い録音室に5人がひしめき合いでわいわいと機器と発送CDのメンテナンス。
午後は在宅で録音の仕上げをして、夕方、最後の介護実習へ。今日は、御夕飯の家事援助。
実習期間中、ディサービス、グループホーム、在宅介護と体験してきた。
大勢のお年よりと過ごす時間もにぎやかでいいけれど、
やっぱり個人宅にお邪魔してケアをさせていただく、訪問介護が一番性に合った。
おひとりにしっかり向き合いお話をしつつ、その方のニーズに合わせて動けることの心地よさ。
複数の方のお世話は、こっちの方に対応している時に他の方のお声掛けにしっかり対応できないことが
せつなくて、困ったので。
マルチに動けない性格の特性か。
ヘルパーの仕事も、いろいろにある。
みなさん、それぞれの気質にあった職場選びをされているんだろうなぁ。
さて、やっとこれで、同行援護従事者講習を受ける資格ができた。
これからが本番。がんばるぞぉ♪
午後は在宅で録音の仕上げをして、夕方、最後の介護実習へ。今日は、御夕飯の家事援助。
実習期間中、ディサービス、グループホーム、在宅介護と体験してきた。
大勢のお年よりと過ごす時間もにぎやかでいいけれど、
やっぱり個人宅にお邪魔してケアをさせていただく、訪問介護が一番性に合った。
おひとりにしっかり向き合いお話をしつつ、その方のニーズに合わせて動けることの心地よさ。
複数の方のお世話は、こっちの方に対応している時に他の方のお声掛けにしっかり対応できないことが
せつなくて、困ったので。
マルチに動けない性格の特性か。
ヘルパーの仕事も、いろいろにある。
みなさん、それぞれの気質にあった職場選びをされているんだろうなぁ。
さて、やっとこれで、同行援護従事者講習を受ける資格ができた。
これからが本番。がんばるぞぉ♪